1981年8月27日(金) 国鉄・京都駅

1981(昭和56)年8月の夏休み、小浜線で「福井県置県100周年」を記念したSL列車が走ることになり、撮影に出掛けた。
 その帰り道、夕方の京都駅に帰り着いた。

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京都駅1番ホーム(現0番ホーム)に、京都発、柘植行きの50系客車列車が停車していた。
 これまで旧型客車で運行されていた草津線直通の列車だが、新製されたばかりの50系に変わっていた。まだ真新しい赤の車体が、やけに眩しく感じた。だが、利用する通勤客にとっては新しく乗り心地の良い、自動扉の車両になったのは良かったものの、暑い夏というのに冷房=クーラーの設置がされていなかった。当時の国鉄では、普通列車に使われる車両には、まだ冷房が標準装備ではなく、急行用の車両ですら、冷房を搭載していない車両がまだ残っていた。

だが、停車している50系を見ると、窓が開いている部分が見受けられない。当時は、草津線直通の客車列車は、朝に京都行きが3本、夕方は柘植行きが3本、それぞれ運行されていたと記憶しているが、京都行きの3本目は朝のラッシュタイムが終わろうとする時に運行されていたし、夕方の柘植行きの1本目は夕方の早い時間に出発していた。そのため、この写真を撮った時刻だと、まだ帰路につく利用客が少なく、窓を開ける人そのものがいなかったものと推測される。(ちなみに車内には扇風機が装備されていた)

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自分がいた2番ホームの方には、見慣れた113系の初期型が停車していた。シールドビームの小さな前照灯を装備した車両が増えていた中で、昔ながらの白熱球を装備したライトが目立っていたが、それでも見慣れた存在であったため、当時は、よっぽどでないと撮影する気も起こらなかった。

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反対の3番ホームには、湖西線用の113系700番台が出発を待っていた。

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湖西線の113系が出発すると、4番ホームとの間に2本ある電留線に103系が並んで休んでいた。どちらも低窓の初期型だが、当時はこちらも見慣れた存在だったので、あまり写そうという意欲の湧かない存在だった。

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再び反対側の2番ホームに117系の「新快速」が入線してきた。こちらも、まだデビューから2年ほどで、まだ新しかったが、着実に「見慣れた存在」になりつつあった。こうなると、次第にシャッターを切る意欲を失っていく存在になりかねないが、この117系だけは、そうして見慣れた存在になりつつあっても、その優美なデザインが気に入っていたので、その後も事あるごとに写していた気がする。

とはいえ、ここでこうして「見慣れた存在」ばかり撮影していた大きな理由は、小浜線でSLを撮影した後、フィルム(コダクローム25)が余っていたからである。
 でも、その余ったフィルムで撮影したものが、今となっては大変貴重なものになってしまっている。これは、当時の自分には、全く予想もしなかったことである。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。