1983年3月30日(水) 磐越西線&日中線

1983(昭和58)年3月末、東北方面を初めて旅した時、廃止がウワサされていた福島県の日中線を訪れた

福島県の郡山駅と新潟県の新津駅を結ぶ磐越西線は、直通する普通列車があっても、会津若松駅で長時間停車した。なぜなら、郡山駅と喜多方駅までは電化されていたが、会津若松でけん引機を電気機関車からディーゼル機関車に交換する必要があったからだ。

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会津若松駅で、新津行きの普通列車を待っていたら、485系の特急「あいづ」の姿が見えたので、跨線橋の上から撮影する。隣には貨物列車が停車していた。

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ED77にけん引された普通列車がやって来た。郵便荷物車を併結している旧型客車の列車だった。

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会津若松駅では、けん引する機関車が代わるが、方向も変わるので、先頭のED77が解放された後、今度は最後尾にDD51が連結される。今まで最後尾だった客車が機関車の次位になるのだが、ふと見れば、関西では見ることが出来なくなっていた狭窓のスハフ32が連結されていた。

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早速、関西人の自分には珍しい狭窓のスハフ32に乗車したが、喜多方駅で下車して、日中線に乗り換える。こちらはDE10けん引の旧型客車2両編成である。

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随分とくたびれた車体のオハ35に乗り込んだ。

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途中、上三宮駅に停車するが、駅舎を見てびっくり。とても現役の駅とは思えないほど荒れ果てていた。

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終着の熱塩駅に到着。駅名標をよく見たら、その次の駅が「あつざとう(→漢字で書くと熱砂糖か?)」とイタズラ書きがされていた。
(*折り返しの様子などは、以前に書いたものをご参照下さい←クリックすると該当ページに飛びます)

ちなみに日中線が廃止された後、線路敷の多くは自転車道と道路になった。中でも自転車道の方は、沿道にシダレザクラが約1000本植えられ、今では桜の名所になっている。また、熱塩駅の駅舎は、今も「日中線記念館」として現存しているようだ。
 また、会津若松駅と喜多方駅の間は、当時は電化されていたものの、電車が走ることはほとんど無かったが、その後、電車が運行されるようになっていた。ところが、つい先日=2022(令和4)年3月になって、会津若松-喜多方間の電車運行が廃止となり、新聞報道によると、今後、電化設備の撤去が行われるという。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。