福島県に、今ではラーメンで有名になった喜多方という町がある。磐越西線が通る喜多方の駅から、かつて「日中線」という短いローカル線が伸びていた。
喜多方と熱塩駅を結ぶ、僅か11.6kmの日中線は、SL=蒸気機関車がブームだった時代、本州で最後まで蒸気機関車の旅客列車が走っていた路線として鉄道ファンに広く知られていた。
1983(昭和58)年の3月末、その日中線を初めて訪れた。
磐越西線の喜多方駅を降りると、端の方に2両編成の客車と、それをけん引するDE10型が停まっていた。
写真を撮る間もなく、すぐに列車は発車した。

終点の熱塩駅に到着。バックには雪を頂いた山々が見えた。
駅の周囲に人家も殆ど見当たらなかったし、よく考えてみれば、乗車している客のほぼ全てが鉄道ファンだった。
日中線は、もう何年も前から赤字の酷い路線として有名になっていて、この時、既に廃止が既定路線化していた。だから、別れを惜しむ鉄道ファンが全国各地から訪れており、自分もその一人だった訳だ。

たたでさえ赤字の酷い路線だったのに、今から思うと、車掌は乗っていたし、終点での機関車付け替えのための作業員もいた。
当時、日中線には朝、昼、晩に1本ずつ、合計でも3往復しか走っていなかった。
この日中線は撮影からちょうど1年後の1984(昭和59)年3月31日限りで姿を消し、路線バスに転換された。しかし、沿線の過疎化が進んで乗客は減る一方で、その路線バスもまた2012(平成24)年9月29日限りで廃止になったという。

再び喜多方駅に戻った時には、日も大きく傾いていた。
ここから新潟へ向かったが、磐越西線の車窓は既に真っ暗で、何も楽しめなかったことを覚えている。
新潟からは、大阪行きの急行「きたぐに」の3段式B寝台に揺られて京都に戻った。

この時、急行「きたぐに」は14系客車で、座席車と寝台車が併結されていた。
1982(昭和57)年11月に14系客車化された「きたぐに」は、1985(昭和60)年3月に583系電車化されたので、この14系客車時代は僅か2年半にも満たない短さだった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。