1994年10月8日(土)~9日(日) 小野田線・本山支線&山陰線・仙崎支線

1994(平成6)年10月、山口県を訪れた。
 目的は、小野田線の支線に残るクモハ42に乗りに行くことと、山陰線の仙崎支線へ乗りに行くことだった。

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ここに初めて訪れたのが1980(昭和55)年の年末だった(←文字をクリックすると当該記事に飛びます)が、当時は旧型国電が行き交っていた小野田線・宇部線も、このときは105系の王国と化していた。

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雀田駅から、支線のクモハ42単行に乗り込む。意外とお客さんの姿が多かった。

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10分も経たぬうちに、中間駅の浜河内を経て終点の長門本山に到着する。久しぶりに見たクモハ42は、前面にあった黄色の警戒帯が消え、助手席側の窓には「ワンマン」の表示が新たに取り付けられた。

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あいにくの雨だったが、1981(昭和56)年に本線から旧型国電が姿を消してから10数年が経っても、この僅か2.3kmの区間を運行するためだけに、戦前製のクモハ42が2両も生き残っていた。

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その後、2000(平成12)年に1両が廃車されてしまったが、その車両を部品取りにして、最後の1両は、JRに最後まで残った旧型国電として2003(平成15)年3月まで営業運転を続けた。その最後の1両であるクモハ42001は、営業運転を終了して以降、廃車されることなく保管され、今も車籍を有しているので、営業運転が可能である。

下関に出て、今度は山陰線に乗って長門市駅へ向かう。

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既に旧型客車どころか、客車列車も貨物列車も姿を消してしまっており、気動車の姿しか見当たらなかった。

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たった1駅間の支線に乗って、終点の仙崎駅へ。側線も機回し線も無くなっており、1本しか無い線路が行き止まりになっていた。
 元々は貨物駅として開業したらしいが、早くに貨物営業を終えており(1963=昭和38年)、1987(昭和62)年にJRになってから最も早く(1988=昭和63年)にワンマン運転が始まったという。利用客が多いとは言えないし、日本各地でローカル線の廃止が進んでいる今も、まだ残っているのは、分類上、山陰線の一部だからだろうか。

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。