1997(平成9)年2月6日、仕事を終えた後、そのまま京都駅に向い、函館行きの寝台特急「日本海3号」に乗車した。目的地は青森で、廃止を前にした南部縦貫鉄道を撮りに行くためだった。
京都市内では雨が降っていたが、一晩を列車で過ごした後、青森駅で下車すると、そこには一面の銀世界が広がっていた。
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ここまで一夜を共に過ごした「日本海3号」は、青森駅で方向転換すると同時に機関車が青函トンネル専用のED79に交代していた。
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かつて、連絡船の桟橋があった所には、いつの間にか大きな道路橋が架かっていた。
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近くの引き上げ線には、上野発青森行きの寝台特急「はくつる」のけん引機が遠くに見えた。
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ほどなく、別のホームに止まっていた「はくつる」がDE10に引っ張られて回送されて行った。電源車は数少ない白帯のカヤ24だった。
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しばらくして、奥羽線の特急「いなほ」が姿を見せた。
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その隣には、函館行きの快速「海峡」が止まっていた。
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青森と函館を青函トンネル経由で結ぶ快速「海峡」は、当時にして、数少ない昼行の客車列車の一つだった。
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まだ東北新幹線が盛岡までだった当時、盛岡-青森間の東北線には数多くの特急列車が運行されていた。
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かつては旧型客車や50系レッドトレインばかり見かけた青森地区の普通列車も、既にデータイムは2~3両といった短編成の電車に置き換わってしまった。
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特急列車がまだいくつも走っていたため、ホームの上では、昔と変わりなく駅弁が売られていた。最近では、こういう風景も見られなくなってきている。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。