1978年4月23日(日) 大阪駅・その2

1978(昭和53)年4月末の日曜日、廃止まで残り5カ月余りとなった市電の始発電車に乗って京都駅に向かい、級友3人と初めて大阪駅へ写真を撮りに行った時の続きになる。

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大阪と新潟を結ぶ特急「北越」が停車していた。1978年10月に国鉄の電車特急は「絵入りマーク」になったが、この当時は、まだ簡素な字幕だった。

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そういう意味では、同じ字幕でも国鉄の特急電車を象徴するボンネット型車両の方が特急名が誇らしげに見えるのが不思議である。

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この当時は、九州方面と大阪を結ぶ夜行列車が数多く運転されており、ブルートレイン(客車)の寝台特急は「彗星」「あかつき」「明星」「安芸」があり、寝台電車の方も「彗星」「明星」「なは」があって、さらには座席のみの急行で「阿蘇」「くにさき」「雲仙」「西海」が走っていたから、朝の大阪駅上りホームには次から次へと夜行列車が到着していた。

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一方では、北陸方面からの寝台特急「つるぎ」「日本海」、さらには寝台急行「きたぐに」や夜行急行「立山」の他にも東京駅からの寝台急行「銀河」、長野方面からの夜行急行「ちくま」、山陰方面からの夜行急行「だいせん」もあって、今から思うと信じられないぐらい夜行列車が発着していた。

一通り大阪駅で撮影を終えた後、大阪環状線に乗って弁天町へ向かった。

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弁天町には、国鉄直営の博物館である「大阪交通科学館」があった。

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今でこそ、鉄道車両を展示している博物館は、各地にあって賑わっているが、当時はそれほどメジャーな存在ではなかったので、日曜日といえど、入場客は少なかった。

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かつて、東京と大阪を結ぶ超特急「つばめ」で活躍していた展望車マイテ49も屋外展示されていたが、この9年後、国鉄がJRになるのを機に復活することになろうとは、この当時、予想もしなかった。

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。