1978年4月23日(日) 大阪駅

自分が鉄道写真を本格的に取り始めたのは、1978(昭和53)年1月のことだった。
 物心ついた時から鉄道は好きだったが、カメラを初めて手にして写真を撮るようになったのが1976(昭和51)年のこと。しかし、しばらくの間、写真を撮ることと鉄道が結びつかずにいたのは、今から考えれば不思議なことだ。
 当時、何をしていたかと思い返すと、昆虫採集やその飼育、紙飛行機作り、各地の「城」巡り、さらには将棋など、ありとあらゆるものに興味を持っては、それに熱中していた。一つのことだけでなく、いくつものことを同時並行的に興味を持つという、変わった子どもではあった。

友人たちに誘われて始めた鉄道写真。最初のうちは一ヶ月に1~2回ペースで撮影に出かけていた。
 1978年4月末の日曜日、友人たち3人と初めて大阪駅へ写真を撮りに行くことになった。

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京都駅よりも、さらに大きな大阪駅。ホームの幅もあり、子どもの自分にとっては、かなり広く感じたことを覚えている。

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朝の時間帯、次々と九州方面から特急や急行列車が到着していた。
 当時は寝台車の連結が無い、座席車のみの夜行列車も数多く運転されていた。そのうちの一つ、急行「雲仙」「西海」の併結列車が下関機関区所属のEF58・23号機にけん引されてやって来た。
 同じような夜行列車では、急行「阿蘇」、「くにさき」という列車もあった。

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これらの急行は、この時には旧型客車から14系座席車に変わっていた。ただ、既に新幹線が博多まで達していたこともあり、乗客はそれほど多くなかった。

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関西から北陸方面へ向かう特急は、長い歴史を持つ「雷鳥」の他に「北越」や「白鳥」が大阪駅を発着していた。

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逆に北陸や東北方面からの夜行列車も賑やかで、青森発の急行「きたぐに」が米原機関区のEF58・77号機にけん引され、14両という堂々たる編成で姿を見せた…と思ったら、シャッターを切るのにベストなタイミングで、目の前を友人に横切られてしまった。

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この時の「きたぐに」は、郵便車、荷物車、グリーン車(スロ54)、寝台車(10系=A寝台1両+B寝台4両)が旧型客車で、普通車のみ12系座席車(6両)という編成だった。寝台車はA寝台、B寝台があり、座席車にもグリーン車と普通車があり、さらには郵便、荷物車もあるという、何ともバラエティに富んだ列車ではあった。

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ここまでモノクロフィルムでの撮影だったが、ここでカラーフィルムに詰め替える。
 再び九州方面からの夜行列車が発着するホームに移動すると、寝台特急「彗星」がやって来た。この時代、関西と九州の大分、宮崎方面を結ぶ「彗星」には583系の電車による寝台列車と、客車であるブルートレインの両方が存在していた。

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多くの特急電車が赤い帯だったのに対して、主に寝台特急として活躍していた583系がブルーの帯なのは、客車のブルートレインを意識したものなのだろう。
 この583系もJR西日本からは完全に姿を消し、今ではJR東日本に僅かに6両が残るのみとなっているが、この写真を撮った時から38年後の今になっても、まだ現役で活躍する車両が残っているのは凄いことだ。

ここで、大阪駅に到着する主な夜行列車が無くなり、もう一つの目的地でもあった、弁天町の交通科学館に移動した。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。