2012年3月1日(木) 今熊野の跨線橋付近

2012(平成24)年3月、長らく日本海側を大阪から青森まで縦走していた寝台特急「日本海」が姿を消すことになった。
 「日本海」は人気が高く、どう見ても乗客が減ったから廃止に…という理由付けはおかしいと思われたが、使われている寝台車=ブルートレインの老朽化が著しいのが最も大きな理由のようだった。

ならば、新しい車両を新造して…と思うところだが、車両を製造するコスト、さらには夜行列車を運行することによる人件費、さらには北陸新幹線の開業、延伸…など、様々な事情を考慮すると、もはや従来のカタチで夜行列車を営利目的で運行することは、残念ながら今となっては難しくなってしまった、ということなのだろう。

3月16日の最終運行を前に、沿線では最後の勇姿を収めようと、年が明けた頃からカメラを手にした人たちの姿が次第に目立っていた。
 そして、いよいよ残り2週間余りになった時、たまたま近くに来たこともあり、自分もカメラを手に32年ぶりに今熊野の跨線橋付近を訪れた。

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その【32年前】(←クリックすると32年前を紹介した記事に飛びます)とは、当たり前の話だが、目の前を横切る列車が大きく変わってしまった。

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しかし、唯一、湘南色の113系だけが、その当時と変わらなかったが、こちらもいつ消えるか分からない状況ではあった。

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湖西線の113系は、既に緑一色に塗り替えられたものばかりになっていた。
 かつて、旧型国電に一色塗りのものがけっこうあったことを思い出したが、まさか113系といった旧型国電を駆逐したカラフルな車両までもが、同じように単調な一色塗りになってしまうとは、思いもよらなかった。

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新快速も、153系から117系になり…その後は、221系とか223系など、次々と使われる車両が変わっていき、もはや専用車両による運行ではなくなった。

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あれだけいっぱい走っていた特急「雷鳥」も、いつの間にか英語に直訳したかのような「サンダーバード」という名称になり、車両も新しい683系などに変わったが、何より愛称名を記したヘッドマークの掲示が無くなってしまったのが、ちょっと寂しく思えた。

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貨物列車も、もはや一般貨物と呼ばれるものは無くなり、コンテナ車ばかりになったが、牽引する機関車も大きく変わった。

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東山トンネルを抜け出てきた、EF81けん引の寝台特急「日本海」が姿を見せた。

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青い車体のブルートレインも、この時にして、なかなか見られないものになっていたが、遠ざかって行く赤いテールランプを見て、何だか青春の1ページが失われていく気分になってしまった。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。