かつて、東京と大阪を結ぶ超特急「つばめ」は、当時の国鉄を象徴する愛称名であった。
しかし、1964(昭和39)年の東海道新幹線の開業で、大阪と九州を結ぶ特急の愛称名に変わり(注*1965年には名古屋-熊本に)、さらには1972(昭和47)年の山陽新幹線の岡山開業では、岡山と九州を結ぶ特急の愛称名に変わった。そして、1975(昭和50)年の山陽新幹線の博多までの全線開業で、ついに国鉄の線路上から「つばめ」の名前は姿を消してしまった。
だが、時代が平成に変わって間もなく、九州で「つばめ」の愛称が復活した。その時、「つばめ」の愛称が復活した理由の一つに「『つばめ』の走った区間には必ず後に新幹線が開業する」というジンクスがあった、などと言われたものだった。
そんな特急「つばめ」も、九州新幹線の新八代-鹿児島中央が暫定開業して、その新幹線の愛称名に「つばめ」が使われることが決まると、再び在来線からは「つばめ」の愛称が消えてしまうのかと思ったら、なんと新幹線と接続する特急に「リレーつばめ」という名前に少し変わって、依然として残ることとなった。
そんな新幹線「つばめ」と特急「リレーつばめ」の両方に乗る機会が、2007(平成19)年2月に訪れた。
山陽新幹線から終点の博多駅で在来線ホームに降り立つ。電光掲示を見ると、隣のホームには寝台特急「はやぶさ」が入線するとの表示があった。
実は、当初は間もなく姿を消すと言われていた寝台特急(ブルートレイン)の「はやぶさ」を京都-熊本間で利用するつもりだったが、あいにく満席でチケットを確保することが出来ず、諦めた経緯があった。
「リレーつばめ」に使われているのは、九州新幹線が暫定開業する前から「つばめ」で使われていたJR九州の787系だった。
その車体には、思い切り「リレーつばめ」と英語で表記されていたが、それを見た自分は「これじゃ、他の列車に使えないじゃないか」と率直に思った。
指定された席に座ると、特徴的な天井が目に入った。エラく凄いデザインだな、と思ったら、この車両、元々はビュッフェ車だったものを用済みになって座席車に改造したものらしく、その名残りが天井に残っていたという訳で、他の車両は、ごく普通の天井になっていた。
ほどなく新八代駅に到着すると、暫定的に乗り換えがしやすいよう、向かい側のホームに新幹線が発着する構造になっていた。
新幹線の車体にも、デカデカと「つばめ」の文字があった。まあ、こちらは「つばめ」しか走ってなかったから、これで良いのかもしれないが、その後、九州新幹線が全線開業した今、この表記はどうなったのだろうか。
ただ、九州新幹線が全線開業したのと時を同じくして、かつてブルートレインで親しまれた「さくら」「みずほ」が新幹線の愛称名として登場したのと引き換えに、「つばめ」は各駅停車の愛称に成り下がってしまった。速さを象徴する愛称であった筈の「つばめ」が、今では新幹線と言えど、各駅停車の列車の愛称名になってしまうとは、かつて「超特急」として「つばめ」の愛称名を考えた人たちには予想も出来なかったことだろう。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。