1987年5月28日(金) JR京都駅

1987(昭和62)年といえば、国鉄が民営化されてJRに変わった歴史的な年でもあったのだが、そうは言っても民営化直後は、大きな変化と言うには実感に乏しかったのも事実だった。
 実際、走っている列車も国鉄時代と変わっておらず、ダイヤが大きく変わった訳でもなかったのだから、仕方のない面はあった。

当時、大学生だった自分は、通学の行き帰りに京都駅を通っていたが、余りにも当たり前の日常だったためか、毎回のように撮影していた訳でもなかった。
 もし、今のようなデジタルカメラで、無限に近くシャッターを切ることが出来ていたら、あるいはもっと撮影していたかもしれないが、当時はフィルムの時代。限りある撮影枚数もあって、あまりにも見慣れた光景というものには、なかなか撮影意欲が湧くものでもなかった。

そんな中、国鉄特急を代表するボンネット型の特急には、さすがにシャッターを切らない訳にはいかなかった。ちょうど、大きな絵入りマークを掲げた大阪行きの特急「白鳥」が姿を見せた。

京都駅1番ホームには、大阪発、長野行きの特急「しなの」が入線していた。

朝のラッシュタイムが終わろうとしていた山陰2番ホームには、青い12系客車が停車していた。
 その先頭に立つDD51-1191号機は、昭和から平成を経て令和の時代になった今も健在である。


この朝の時間帯、山陰1・2番ホームに同じ特急「あさしお」が並ぶ時があった。


片や宮津線経由の城崎行きで、もう一つは倉吉行きだった。
 中でも宮津線経由の城崎行きは、舞鶴や宮津を経由して遠回りすることと、綾部駅と西舞鶴駅、豊岡駅の合計3回も進行方向が変わるという珍しい特急列車でもあった。

京都駅の山陰ホームの北側にあった郵便・荷物用ホームの背後に、乗務員が所属する京都電車区の建物があった。
 既に郵便荷物列車どころか、列車による郵便・荷物の取り扱いそのものが無くなっていたため、京都中央郵便局と直結していた、この郵便・荷物用ホームは用途を失い、閑散としていた。

今では近郊路線となり、10~15分おきに電車が行き交う山陰線(嵯峨野線)も、この当時はまだローカルな雰囲気に満ちていた。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。