1982年5月 京福電鉄・岩倉-木野間

1982(昭和57)年5月のある日、学校の授業が終わった放課後にカメラバックを積み込んだ自転車を走らせ、岩倉(京都市左京区)を訪れた。
 当時の岩倉は、田んぼが広がっていて、人家は限られた所にしか無かった。

今は叡山電鉄だが、まだ当時は京福電鉄と言っていた時代。その京福電鉄鞍馬線の線路が、岩倉を通っている。
 太平洋戦争中までは複線だったらしいが、金属供出で岩倉-市原間にあった片方の線路が撤去され、単線になっていた区間だった。

そんな岩倉に広がる田んぼのド真ん中に踏切があって、そこが格好の撮影ポイントになっていた。東を望めば、遠くに洛北中学校の校舎が見えて、その背後には比叡山がそびえていた。

線路の南側には広大な田んぼが広がっていたが、線路の北側は湿地帯になっており、電車が通ると、驚いたカモが一斉に飛び立ったりもしていた。
 今では、この辺りに田んぼは殆ど無く、その湿地帯の辺りは道路が立体交差している。あれだけ田んぼが広がっていた岩倉も、今では広大な住宅街と化してしまった。

線路の北側には雑木林が広がっており、夏になると、よくカブトムシやクワガタを捕りに行ったりもした。

線路の北側は湿地帯なので、地面はぬかるんでいることが多かった。

当時、昼間は鞍馬行きだけでなく、二軒茶屋で折り返す電車も、1両編成の単行が多かったが、朝夕はデナ21型の2両編成ばかりが走っていた。

西を望むと、遠くには開校したばかりの北稜高校の校舎も見えた。
 後日、その北稜高校に「すごい美人がいる」と同級生たちの間で話題になり、なぜか「みんなで見に行こう」となって、自転車を連ねて出掛けた思い出もある。もちろん、出会えなかったのだが、その噂の美人が女優の杉本彩さんであったことを知ったのは、だいぶ後の話である。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。