1988年1月7日(木) JR宮津線

京都市北部を走る鉄道路線である宮津線は、今では京都丹後鉄道と呼ばれているが、かつてはJR宮津線、国鉄宮津線だった。
 1990(平成2)年4月1日に第三セクター化されて、北近畿タンゴ鉄道に名前が変わり、走っている車両も基本的に変わったが、この区間を経由していた急行「丹後」や特急「あさしお」は、しばらくそのまま乗り入れが続いていた。

そんな第三セクター化される前の1988(昭和63)年1月に、初めて宮津線へ乗りに出掛けた。
 当時、まだ高架化されてなかった西舞鶴駅では、宮津線のキハ47系が出発を待っていた。

天橋立駅に着いた。正月明けだが、平日ということもあってか、観光客らしき人たちの姿も見当たらず、閑散としていた。

ここで宮津線経由の急行「丹後」とすれ違った。グリーン車を組み込んだ堂々たる6両編成だった。

加悦鉄道との接続駅だった丹後山田駅に到着。
 その加悦鉄道は、当時の国鉄が宮津線での貨物取り扱いを廃止してしまったことが影響して廃止となっていた。そして、丹後山田駅も今では与謝野駅に改称されてしまっている。

豊岡駅に到着。山陰線は電化されたが、宮津線は非電化だったせいか、宮津線用のホームには架線が張られていなかった。

向かい側のホームには、電化された山陰線用の113系800番台が停車していた。こちらの車両は見た目には新しくても改造車であり、新車ではなかった。しかも、113系の中でも古い車両も種車になっていた。

そんな訳で、シールドビームでは無い目玉(ヘッドライト)の大きな初期車を改造した先頭車の姿も見られた。

特急「北近畿」も余剰になっていた485系を転用したものだった。
 この485系も後に交流機器を下ろして直流の183系化された。

この地域では、既に客車列車がほぼ姿を消していて、普通列車用の気動車に関してはキハ47が目立つようになっていた。

オレンジの首都圏色に彩られたキハ47系は、この時から30年以上の月日が経った今も(見た目は更新改造されているものの)まだ活躍しているから驚きである。

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京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。