京都駅は、東海道線の駅というイメージが強かったが、山陰線や奈良線も分岐している。
しかし、1980年代の昭和の時代では、まだローカル色が強く、通勤路線というイメージはなかった。
1986(昭和61)年の当時、山陰線はまだ単線非電化の路線であり、今に比べると運転本数は少なかった。
そんな山陰線は、どこの駅へ行ってもホームが客車用の低いものだった。比較的、大きな駅でもある二条駅ですらそうだったので、車両にステップが設けられているとはいえ、まるで階段を上って列車に乗り込む感があった。車いすの使用者など、とても利用ができない状況ではあった。
嵯峨駅(現・嵯峨嵐山駅)では、必ずと言って良いほど、対向列車との行き違いか、特急・急行の追い越しがあった。
その嵯峨駅のホームも客車用の低いものだった。
今では普通や快速として4~8両編成の電車が行き交うが、当時は非電化だったので客車か気動車であり、ラッシュタイムには10両編成とかもあって見るからに壮観だった。
島式ホームの馬堀駅でも、追い越しがあった。このため、1番ホームが下り列車用、2番ホームが上り列車用とは限らなかった。
当然、この馬堀駅のホームも低かった。
胡麻駅では、貨物列車とすれ違った。山陰線を走る貨物列車は、翌1987(昭和62)年に国鉄が民営化されてJRになった際に、大半の区間で廃止されてしまった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。