1982年8月20日(金) 国鉄・三木線

1982(昭和57)年の夏休みは、この年の春から発売が始まった「青春18のびのびきっぷ(現・青春18きっぷ)」を使って各地を旅行した。
 当時は夜行の鈍行(普通)列車が各地で運行されており、18きっぷを使っての長距離移動が容易に可能だったので、学生の貧乏旅行には最適な環境ではあった。

8月のお盆を過ぎた頃に出発した旅行では、兵庫県の加古川線を踏破したが、いくつかあった支線の中で、三木線を訪れた。

その加古川線沿いには、支線がいくつも存在していた。
 高砂線、鍛冶屋線、三木線、北条線とあったが、高砂線は国鉄時代の1984(昭和59)年12月1日に廃止され、鍛冶屋線はJR化後の1990(平成2)年4月1日に廃止され、三木線と北条線は、1985(昭和60)年4月1日に第3セクター化されて、それぞれ三木鉄道と北条鉄道になった。


終点の三木駅は閑散としていた。その三木線は、不思議なことに「三木」「別所」「石野」…と苗字のような駅名ばかりが続いていたのだが、後に三木-別所間に「高木」駅も出来ていた。
 この当時の三木線は、キハ30・35系にキハ20系が混じって3両編成ぐらいで走っていた。

別所駅では「三木線廃止反対」の看板が掲げられており、当時から廃止が議論になっていた。
 その後、第3セクター化されることになるのだが、乗客の減少は止まらずに赤字が続き、2008(平成20)年4月1日には廃止となってしまった。


別所駅は、よくある国鉄ローカル線の駅という感じで、鉄道模型でもよく見られるようなイメージだった。

しかし、こうして3両編成が三木線の線路上を行き交っているのを見ると、とても廃止が議論されている路線とは思えない感じがしたのも事実だった。


目の前に来た列車には、下校の子どもたちだろうか、何人もの児童が窓から手を振ってくれた。

いくつもあった支線が廃止されたり、第3セクター化された加古川線の沿線だったが、今では肝心の加古川線ですら存廃論議にさらされている。
 その加古川線も電化されて便利になった筈なのに、今では1~2両編成の電車が行き交うローカル線と化している。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

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