今では通勤電車が頻繁に行き交うJR奈良線も、かつては貨物列車が走り、どこかのんびりとしたローカル線だった。
その奈良線も、1984(昭和59)年10月に電化されて以降、近郊路線としての整備が進んだ。
奈良線は基本的に単線だったが、運行本数の増加に伴って、いくつかの駅に行き違い設備が新設され、1992(平成4)年には六地蔵駅が開業して京都市営地下鉄東西線と連絡するようにもなった。
そして、1998(平成10)年から複線化の工事が始まった。
2021(令和3)年の晩秋、複線化工事が大詰めを迎えた奈良線を撮影に訪れた。
その奈良線では、ウグイス色の103系が最後の活躍を見せていた。この103系は、旧国鉄の時代に山手線を走っていた車両らしかった。
何度も延命化工事が施工されているので、言い方を変えれば原型をとどめていないのだが、国鉄がJRになって、東京を走っていた車両が関西に転属とか、ほぼ無くなってしまったので、山手線を走っていた車両が奈良線を走っているという事実に、時代の流れを感じずにはおれなかった。
宇治川の橋梁も、複線化に伴って、隣に新たな橋梁が架けられようとしていた。
この奈良線では、他にもスカイブルーの帯が入った205系や、かすかに関西急電(=新快速の元祖)のカラーを漂わせる221系も走っていたが、その前には105系とか117系も走っていた。しかし、いずれも「都落ち」と呼べるような、お古ばかりで、新車が投入されない線区でもあった。
これら「お古」の車両が、短い4両とか6両編成になって、一生懸命に走っている光景は、かつて本線を長い編成で走っていた頃に比べると、どこか悲哀を感じさせる。もちろん、今、奈良線を利用している乗客の中に、そんなことを感じる人は殆どいないだろう。
かつて伏見の清酒を全国に向けて積み出していた貨物ヤードのあった桃山駅の近くも、今では大きなマンションが建ち並ぶ。
国鉄がJRに変わった頃にデビューしたステンレス車体の205系も、今となってはいつ姿を消してもおかしくない車齢を迎えている。
そう考えると、221系も、同じくいつ姿を消してもおかしくない。
自分が高校生や大学生だった頃の車両が、廃車の対象となる時期を迎えて、今や自分がいかにも古い人間になってしまったことを実感せずにはおられない。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。