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11月末とはいえ、この日の京都駅は特に寒い訳ではなかった。まだ本格的な冬の訪れには間があったのかもしれない。
5番線に117系の新快速、6番線に湖西線の113系が並んだ。当時は、ごく当たり前の光景だったが、6番線の113系は折り返しで逆向きになっており、この後、京都駅の東側にある引き上げ線へ吸い込まれていった。
ほどなくして、117系の新快速が大阪方面に向けて発車していった。6両編成が当たり前だった新快速が、後に10両以上の長さが当たり前になるとは、当時は思いもしなかったし、停車駅が今みたいに多くなることも予想もしなかった。
湘南色の113系は、まだ初期型の大きな目玉(ヘッドライト)の車両が健在だった。
ホームには、どこか山登りにでも行く感じの学生たちの姿があった。
下り列車が通るはずの6-7番線の間を逆方向に走る列車の姿が。方角的に、こちらは奈良線に向かうようだった。
レールを積んで保線作業に従事している感じだが、真っ昼間に見るのは珍しい気がした。
奈良線の8番ホームに、381系の特急が入線してきた。奈良線経由で和歌山の白浜へ直通する臨時特急「ふれ愛紀州路」号だった。
この「ふれ愛紀州路」号は、京都から奈良線、関西線、阪和貨物線、阪和線、紀勢線を経由するという珍しい列車だった。その後、名称が「しらはま」に変わって運行が続けられていたが、1989(平成元)年に天王寺駅構内に短絡線ができて、特急「くろしお」が新大阪と京都へ直通運転することが始まった時に、代わりに廃止されてしまった。
奈良線ホームには、その「ふれ愛紀州路」号の運転期日を知らせる掲示がされていた。
1番ホームの方に戻ると、和倉温泉に直通する「ゆうトピア」を後ろにぶら下げた特急「雷鳥」の姿があり、すぐに発車していった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。