1987(昭和62)年は、春に国鉄がJRに変わった大きな変革の年でもあった訳だが、目に見えて変化があったという訳でもなかった。
何せ、走っている車両のほぼ全てが国鉄時代のままだし、働いている人も国鉄時代からの人ばかりだったから無理もなかった。
だから、撮影に出掛けても、車体や駅とかにJRのロゴがあるだけで、特に大きな変化を感じたことはなかった。
この年の11月末は、毎日のように京都駅へ通っていた。
もちろん、大学へ通学する際の「通り道」だった訳でもあるのだが、何の変哲も無い、いつもの一日をなぜか記録しておきたいと思ったからだった。
この日、京都駅へ行くと、1番(現0番)ホームと2番ホームの間に、亀山機関区所属のDD51-1036号機が待機していた。どうやら、草津線に直通する団体臨時列車を待っているようだった。
ほどなくEF65PFにけん引された団臨がやって来た。すぐに機関車交換が始まり、先ほどのDD51が連結された。
窓から子どもたちの姿が見えたので、どうやら修学旅行らしかった。
6-7番ホームに移動すると、上り寝台特急「日本海」がやって来た。
先頭はローズピンク色のEF81-114号機だったが、同機は後にトワイライトエクスプレス色になった。その後、2019(令和元)年に廃車となり、長らく留置された後、2022(令和4)年10月に解体されて姿を消しているようだ。
最後尾は金帯3本になったオハネフ24だった。
一方で、草津線に向かう団臨が発車して行くのが見えた。
7番ホームと奈良線の8番ホームの間にあった通過線を、EF65一般型が単機で通過していく。単機回送でも、ちゃんと駅員さんが詰め所から出てきて、ホームで合図して見送っている光景が見られた。
その6-7番ホームの反対側にあった(*今も一応残っているが)待機線に、京都駅まで団臨をけん引してきていたEF65-1137号機が、いつの間にか回送されてきていて、パンタグラフも下ろして休んでいた。(つづく)
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。