食堂車の思い出

少し前に、東海道・山陽新幹線で行われていた車内販売が終了する、というニュースが流れたことがあった。
 かつては当たり前のように見られた列車内での車内販売も、今では観光列車など、ごく一部を除いて姿を消してしまっている。だが、それより前には車内で食事を提供する「食堂車」があった。

その昔、民営化される前の国鉄の時代では、長距離を走る特急列車には必ずと言って良いほど食堂車が連結されていた。
 しかし、新幹線の新規開業が相次ぎ、在来線で長距離を走る特急列車が減っていったことと、揺れる車内での営業で過酷な労働環境(=夜行列車だと車中泊になる)ということもあって人出の確保が厳しくなったこともあり、ダイヤ改正が行われる度に食堂車の連結の取り止めが続くようになった。

自分が初めて食堂車を利用したのは、岡山から鳥取へ向かった際に利用した特急「やくも」でのことだった。

よりによって初めての食堂車が気動車特急で、キサシ180という珍しい車両だった訳だが、このときはカレーライスを食べたのを覚えている。確か700円で、当時としては明らかに高額だった。

その後、東京と九州方面を結ぶ寝台特急=ブルートレインを利用した際に2回、食堂車を利用した。
 この時は、いずれもオシ24で、寝台車と合わせた高さのある天井で、車内が広々としている感じがしたものだった。

東海道・山陽新幹線でも、2階建て新幹線で知られた100系の食堂車を2回、利用したことがあった。

食堂コーナーは2階にあり、防音壁に囲まれた新幹線でも、景色が楽しめて好評だった。

大阪と札幌を結ぶ寝台特急「トワイライトエクスプレス」でも食堂車での食事を何度も楽しんだ。
 夕食で利用した際は、フランス料理を味わいながら車窓から日本海に沈む夕日を眺められたし、朝食の際は雄大な北海道の景色を楽しむことが出来た。

札幌と上野を結ぶ寝台特急「北斗星」でも食堂車を利用したことがあった。
 「トワイライトエクスプレス」と「北斗星」は、いずれも電車の食堂車を改造したものだったので、同じ寝台列車でも、かつてのブルートレインに連結されていた食堂車と比べると、天井が低くて、少し圧迫感があった。

車窓を楽しみながら食事を味わうのは、独特の楽しさがあるのだが、今となっては一部の観光列車でしか体験が出来なくなったのが残念だ。

目的地に速く着くことばかりがもてはやされ、早く着くことで余った時間が有効活用できます、みたいな謳い文句が長らく当たり前のように流布されてきたが、時間を気にしない、旅そのものを楽しむことが、高額な豪華列車や観光列車でなくとも、気軽に楽しむことが可能だった昔が、今となっては懐かしい。
 外国では、まだそういうのが残っている所が多く、先進国が多いヨーロッパですら、そうなのだから、なぜ日本だけ、こう速さや早い=トクという概念が重視されているのか、いささか不思議ではある。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

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