1986年7月21日(月) 福知山線・生瀬-道場間の旧線

京都市右京区のトロッコ嵯峨駅と京都府亀岡市のトロッコ馬堀駅を結ぶ嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車は、外国人観光客も多く訪れ人気の路線となっている。保津川沿いの渓谷「保津峡」を走るトロッコ列車は、四季を問わず乗客を楽しませているが、かつてその線路が「山陰線」だったことを覚えている人は、次第に少なくなっている。

兵庫県の尼崎駅と京都府福知山市の福知山駅とを結ぶ福知山線にも、以前は同じようなシチュエーションの区間があった。武庫川沿いを走る生瀬-道場駅の区間が、保津峡と同じような感じだったのだが、保津峡より一足早く、1986(昭和61)年の8月1日に旧線から新線に切り替わった。保津峡のケースと違うのは、旧線がトロッコ鉄道に転用されなかったこと。福知山線の旧線跡は、今では一部区間がハイキングコースとして人気があるが、線路敷の所有者であるJR西日本は整備してないので、あくまでも「自己責任で」ということになっている。

1986(昭和61)年7月下旬、子どもたちが夏休みに突入した最初の日(=当時)に大阪駅を訪れた。福知山線の列車が発着していた1-2番ホームでは、1番ホームに福知山行きのDD51+12系客車で編成された普通客車列車が停車していた。隣のホームには、米子行きの特急「まつかぜ」が入線しようという時だった。

この日は平日の月曜日で、朝のラッシュタイムが過ぎていたこともあり、ホームはがらんとしていた。

先頭にはDD51の1110号機の姿があった。1974(昭和49)年11月12日に落成した同機は、1997(平成9)年12月1日に廃車となっているが、その4日前に落成した1109号機の方は、車齢が50年を迎えた今も現役で、大阪の網干総合車両所宮原支所に在籍している。

新線への切り替えまで、残すところ11日となった生瀬駅では、既存のホームの隣に立派な対向式のホームが既に出来上がっていた。

当時、生瀬駅は無人駅だったが、その後、駅周辺での開発が進み、今では有人駅となっているようだ。

保津峡駅と同じようなシチュエーションの武田尾駅では、客車列車同士の交換(すれ違い)があった。上りの大阪行きは、DD51の重連になっていた。

上りの大阪行き急行が武田尾駅を通過していった。

武田尾駅から道場駅へ移動する。保津峡を通る山陰線で言えば、馬堀駅に該当する場所になる。

ここでも、客車列車同士の交換があった。白帯のあるノーマルな12系と、近郊化改造を受けて一部がロングシート化された12系1000番台が入り混じって使われていたが、冷房を搭載していることもあり、以前の旧型客車と比べると、この日のような真夏では乗客にとって雲泥の差がある快適さだった。

この後、8月1日に新線に切り替わったが、宝塚-福知山間の電化工事が完了する11月1日まで、客車による普通列車の運行は続いていたようだ。しかし、11月1日をもって、歴史ある特急「まつかぜ」も、客車も姿を消してしまい、翌年春には国鉄もJRに変わってしまった。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。