1986年9月27日(土) 国鉄山陰線の旧型客車

1986(昭和61)年の8月末から10月末にかけて、何度も兵庫県の但馬方面に足を運んだ。
 その理由は、最後まで残っていた旧型客車が姿を消すことになったからだった。

金曜日、大学の帰り道に大阪駅へ行き、夜行急行「だいせん」に乗って、土曜の未明に鳥取駅や浜坂駅で下車するのが、いつものパターンだった。
 いつも学割を使って、鳥取・浜坂ミニ周遊券を購入していたのもパターンだった。

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午前4時台の鳥取駅コンコース。当然のことながら、他に利用客の姿は、ほぼ見られなかった。

山陰線の福知山~香住~浜坂~鳥取の、いわゆる但馬エリアは、最後まで残った旧型客車の楽園だった。それは、少し前の1983(昭和58)年の夏まで旧型国電の楽園だった飯田線に似ていた。

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けん引機は、どれもDD51だったが、所属は福知山機関区と米子機関区ばかりだった。どちらかと言えば、ラストナンバーに近い1100番台以降の新しい機関車は福知山所属が多く、米子の方はまだ500~700番台がけっこう見られた。

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餘部駅にて、DD51重連がけん引する旧型客車の列車が姿を見せた。回送などの運用の関係なのか、寝台特急「出雲」も含めて、重連で先頭に立つDD51の姿は、けっこう見る機会があった。

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帰り道は、いつも福知山行きの旧型客車を利用していた。いつも窓を開け放って、車窓に流れる景色を「生」で楽しんでいたが、すれ違う列車も、これまたDD51を先頭にした旧型客車が多かった。

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終着に近い、上川口-福知山にあるカーブでは、列車通過の風で揺れるススキの穂が逆光で輝いて見え、なんとも言えない風情があった。

この翌年、国鉄がJRに変わった。今となっては、そんな旧型客車の旅が無くなったことが、そのまま時間を気にせず、ゆっくりとした楽しむ旅も無くなったことを意味していた感がある。
 新幹線が次々と開業し、リニアモーターカーが建設され始めるなど、移動時間が短くなり便利になっていく世の中、経済的には良いのかもしれないが、速さばかりを追求したことで、逆に「旅の風情」はどんどん失われていってる気がする。

鈍行列車でゆっくりと旅ができた、あの時代。それを体験することが出来た自分は、幸せだったと言えるかもしれない。

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京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。