1986(昭和61)年4月、当時通っていた大学は大阪の南の方にあり、京都にある自宅からの通学時間は片道2時間半~3時間も掛かった。いわば、毎日「小旅行」しているようなものだった。
通常は京都駅から近鉄京都線に乗り、橿原神宮前まで行ってから、南大阪線のあべの橋行きに乗り換え、さらに古市駅で河内長野行きに乗り換えて…というルートだった。
京都から大阪に出て、国鉄の大阪環状線や地下鉄御堂筋線で天王寺まで行き、そこから近鉄南大阪線に乗るのが、ごく一般的な人の考えるルートだったのだが、それだと定期券が複数必要になり、高額になる。
ところが、前述の奈良経由だと、近鉄ばかりを乗り継いでいくので、定期券が1枚で済む。金額的に比較すると5倍近くも差があり、奈良経由の近鉄で通う方が格安だったのだ。
大阪の南の方は、土地勘もなく、行ったことが無い所ばかりだったので、最初の頃は毎回が「探検」しているようなものだった。
4月のある日、いつもは奈良経由のところ、大阪経由で登校してみた。
当時、近鉄南大阪線の河堀口~矢田間では、高架工事が行われていた。この工事が、地上にある在来線の真上に高架線を作るという珍しい形態だった。
高架工事が真っ只中の今川駅で途中下車してみた。
既に元からあった駅舎は取り壊されており、プレハブ造りの仮駅舎になっていた。
古市駅で、特急吉野行きを見送る。停車駅の関係で、南大阪線の特急には乗る機会がなかった。
大学の最寄り駅の駅前広場には、当地の路線バスである金剛自動車のバス(=金剛バス)がずらりと並んでいた。
いずれも薄い緑色と濃い緑色のツートンカラーだったが、つい先日、その金剛バスが廃業するというニュースが流れてきて、たいそう驚かされた。
南大阪線の沿線には、近鉄バファローズ(当時)のホームグラウンドである藤井寺球場があったので、試合のある日は、バファローズのロゴマークが付いた電車が運行されていた。
阪急神戸線でも、同じように西宮球場で試合がある日になると、阪急ブレーブスのロゴマークが付いた電車が走っていた。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。