1979(昭和54)年の11月、通っていた中学校の「秋の遠足」があった。行き先は奈良県の明日香村(当時)だった。
京都駅八条口に集合し、近鉄京都線に乗って行くルートだった。当時、まだ地下鉄は開業前で、市電は前年に廃止になっていたので、京都駅までは市バスで行くよりなかった。
近鉄京都駅で急行橿原神宮前行きを待っていると、遠く国鉄京都駅の山陰ホームから旧型客車で編成された普通列車が出発していくのが見えた。
手前の留置線には荷物車や郵便車の姿があった。
隣のホームには、西大寺行きの普通電車が止まっていた。
このときは、一眼レフカメラを買ったばかりで、手持ちのレンズが標準レンズ(50ミリ)しかなかったので、奥行きのないホームでの撮影では不自由だった。
ようやく急行橿原神宮前行きがやって来たかと思ったら、京都市営地下鉄乗り入れを想定したステンレス車体の試作車である3000系が姿を見せた。
まだデビューして1年半が過ぎた頃で、真新しいステンレス車体が輝いて見えた。
西大寺駅を出ると、進行方向の左手に大きな西大寺検車区が見えた。珍しい電動貨車が目に入った。
構内には、ほかにもヒゲ型の特急表示が特徴の18200系や、湘南型2枚窓の800系の姿が見えた。
橿原神宮前駅には、京都行き特急の18000系が止まっていた。新しい特急車と異なり、18000系は貫通路を塞ぐように行燈式の大きな特急シンボルマークを付けていた。
帰りは、最後尾の車両に乗った。デビューしたばかりの特急車、30000系ビスタカーとすれ違った。
京都駅に着くと、今までお世話になった車両は、折り返し天理行きになっていた。
この6年後から大学へ通うため、この近鉄京都線に毎日のように乗ることになるのだが、このときは予想もしていなかった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。