1988年6月16日(木) ある日の京都駅

最近、毎年のように夏になると「猛暑」が話題になるが、とりわけ今年は気温が高かったようだ。
 日本各地で平均気温が過去最高と報道されているが、これは日本に限らず世界的な傾向でもあり、着実に地球温暖化は進んでいると言えるだろう。

今から35年前の1988(昭和63)年6月のある日、京都駅で「時間つぶし」のついでに撮影をした。当時通っていた大学の行き帰りには、必ず京都駅を通っていたが、あまりにも当たり前の「日常」であるがために、意外と京都駅で撮影、という機会はそれほど多くなかった。

ちなみに、この年の京都の夏は、今の基準から見ると明らかな「冷夏」で、35度を超える猛暑日は8月1日と2日のみで、しかも両日とも35・1度だった。

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東海道線では、湘南色の113系が見飽きるほど走っていた。非冷房の車両も、まだ多かった。
 当時は、朝夕も今と比べると格段に涼しく、熱帯夜は6~8月に合計6日しかなかった。だからという訳ではないが、当時のJRでは、まだ非冷房の車両が数多く活躍していたのだった。

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湖西線を走る113系700番台は、全てが冷房車だった。当時は、2つ以上の編成をつなぎ合わせる時、ほとんどのケースで貫通路が使用されていた。

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本来は新快速用の117系も、朝夕のラッシュタイムは2編成を連結し12両編成にして快速で使われるケースが多かったが、2扉車だったので、乗降に時間が掛かり、乗務員も乗客にも必ずしも評判は良くなかった。そのためか、1989(昭和64~平成元)年になると3扉車の221系が登場することになる。

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まだ1本しかホームの無かった奈良線には、赤帯の113系が止まっていた。こちらも非冷房車だ。

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東海道線の普通には、スカイブルーの103系が主力で活躍していた。低窓の初期型も健在だった。

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当時は朝のラッシュタイムでも貨物列車の姿が見られた。京都駅の6-7番にいると、EF65-1138号機のけん引するコンテナ貨物がやって来た。

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振り返ると、そこには草津線からやって来た京都行きの50系客車が止まっていた。

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草津線の柘植と京都を結ぶ客車列車は、草津線電化後も長らく2往復が運転されていたが、この翌年の1989(平成元)年3月、電車に置き換えられてしまった。
 真っ赤な50系客車は、大半が製造から10年前後だったが、非冷房車だったこともあり、早くも活躍の場を失いつつあった。

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その先頭には、サイドの白帯が無かった変形機として知られた亀山機関区所属のDD51-1043号機の姿があった。こちらは、この時から35年の月日が経ち、令和の時代になった今も、山口線で活躍を続けている。

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今度はEF65-1064号機がけん引するコンテナ貨物がやって来た。今から思うと、当時の列車に使われていた車両たちは国鉄色が濃かったこともあるが、一見、画一化されているようで、どれもバラエティに富んでいた感じがする。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。