1986年8月30日(土) 夜の国鉄京都駅

1986(昭和61)年の夏休みも終わりに近づいた頃、暑さを避けて夜の京都駅を訪れた。
 当時の入場券には時間制限が無く、1日に何時間でも駅で過ごすことができた。夏休み中は毎日のようにカメラを手にした少年たちでにぎわっていたが、さすがに夜は少なかった。

19860830-2

この日、京都駅1番(現0番)ホームに行ってみると、なぜかDD51が単機で停車していた。

19860830-3

向かい側の2番ホームに、EF65PFがけん引する、元祖ブルートレインの20系客車が入線してきた。慌てて2番ホームに移動するが、どうも団臨(=団体臨時列車)らしくて6両編成ぐらいの短さで、ホームの中ほどに先頭の機関車が停止しており、そこに到達する前に、機関車が解放されてしまった。

19860830-4

これまで連結されていた20系客車のナハネフ22には、ここで赤いテールランプが点灯した。そして、先ほどまで1番ホームにいたDD51が反対側に連結されて、山陰線の方へ出発して行ったのだった。
 当時、大阪方面から京都にやって来た客車列車が、奈良線や草津線へ入線するためにDD51と機関車の付け替えをする光景は時々見られたが、山陰線に向かうのは珍しかった。

19860830-5

京都駅1番(現0番)ホームの東端には、まだ機関車の待機場があった。夜になると山陰方面から東京に向かう上り寝台特急「出雲」がやって来て、ここまでけん引していたディーゼル機関車から電気機関車に付け替えを行っていた。当時、「出雲」は2本あり、この日も2両の電気機関車=EF65PFがヘッドマークを付けて待機していた。

19860830-6

待機中のEF65PFの横を、上りの貨物列車が通過していった。貨物列車をけん引する機関車のヘッドライトで、「出雲」のヘッドマークが金色に光って見えた。

19860830-7

こうして、当時の夜の京都駅は、静かな中にも通過する夜行列車はまだまだ多く、それに関わる鉄道員の姿も多く見られた。貨物列車が通過する度に、駅員がホームに出てきて、運転士や車掌に挨拶する姿も、いつの間にか見られなくなったし、列車が駅を出発する際の汽笛も鳴らさなくなってしまった。

そして、普通から特急まで電車が全盛となった今、客車を引っ張る機関車の付け替えを駅で見ることはほぼなくなってしまい、夜行列車もほぼ姿を消してしまった。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。