1982年8月19日(木) 国鉄「中央西線」の旅

1982(昭和57)年8月の夏休みは、当時の国鉄から期間限定で発売されていた「青春18のびのびきっぷ(後の青春18きっぷ)」を使っての旅だった。

上田交通の丸窓電車を撮りに行ったり、EF63の補機が活躍していた横川-軽井沢間を初めて通ったり、中身の濃い旅行だった。このときは、大垣発、東京行きの「大垣夜行」の他に、新宿発、長野行きのスカ色115系で編成された夜行の普通列車にも乗った。

長野行きの夜行普通列車を塩尻で降りた後、通称「中央西線」に乗り換えて名古屋方面へ向かった。東京、新宿から塩尻を経由して名古屋までを結ぶ中央線は、塩尻を境に東側を「中央東線」、西側を「中央西線」と呼んでいたが、実際、中央東線の電車は「スカ色」で、中央西線の電車は「湘南色」だったので、明確に分かれていた。

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新宿から塩尻まで利用したスカ色の115系には、先頭の方に郵便・荷物電車が2両連結されていた。

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中央線を走る貨物列車や荷物列車の先頭にいる機関車は、どこへ行ってもEF64だった。

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関西の自分には見慣れた湘南色の電車だが、走ってる電車そのものは見慣れない115系だった。少し前までは80系が多かったようだが、このときは飯田線から乗り入れているものぐらいしか見ることが出来なくなっていた。

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途中の駅で、381系の特急「しなの」の通過待ちがあった。

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この時に乗っていた電車は、篠ノ井線の聖高原から中津川に向かう普通だった。
 写真をよく見ると、屋根が布張りになっていて、どこか懐かしく思える。国鉄時代は、それが当たり前だったが、JRに変わった頃から塗り屋根が主流になり、布張りの屋根は、いつの間にか見かけなくなってしまった。

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木曽平沢駅で、対向列車と交換した。

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中津川駅に着いた。広い構内には、EF64と貨車、115系の姿が見えたが、広さの割に車両の数は少なく、どこかがらんとして見えた。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。