2006(平成18)年3月、東京と山陰地方を結ぶ寝台特急「出雲」が姿を消すことになった。
かつて「出雲」は東京-浜田(島根県)と、東京-出雲市(島根県、1978年までは寝台特急「いなば」の愛称で運行)を結ぶ2本がブルートレインで運行されていたが、1998(平成10)年に東京-出雲市を結ぶ1本が、最新の285系寝台電車に置き換えられた。愛称名も「サンライズ出雲」に変わったが、そのことで岡山~伯備線経由になり、山陰線の京都~福知山~鳥取~米子といったルートを通らなくなった。
その後、山陰線の京都~米子駅の区間を唯一走っていた本家(?)のブルートレイン=寝台特急「出雲」も、ついに姿を消すことになった。車両の老朽化や利用客の減少が廃止の理由と言われていたが、後者の理由に関しては、確かに昭和50年代のピークに比べると乗客が減っていたとはいえ、列車運行を取り止めする基準ほどまでに減ったとは必ずしも言えない状況ではあった。その辺りは、後に利用客が多かった寝台特急「日本海」が廃止になった時にも言われたが、当時行われていた大幅な規制緩和で安価な夜行バスが増えていた中で、将来を見据えた場合、高額な投資を必要とする車両新造をJR側がちゅうちょしたと言えるかもしれない。
廃止前の最後の週末、深夜の京都駅を訪れた。
2月にも同じように「出雲」を撮影しようと訪れたが(←クリックすると記事に飛びます)、そのときはカメラを持った人の姿はほぼ皆無だった。ところが、この日は一変して多くの別れを惜しむ人の姿でにぎわっていた。
赤いヘッドマークを掲げたDD51-1179に引かれた「出雲」が、京都駅0番ホームに入線してきた。ちなみに、このDD51-1179号機は今も健在らしい。
列車が到着すると、元々ホームにいた人に加えて、機関車交換のため、長い停車時間を利用して乗客も多数、カメラを手にして降りてきていた。
DD51が切り離されると、青い車体に赤い「出雲」のテールマークが入ったオハネフ25が姿を現した。
作業員の旗による誘導で、今度はEF65-1106号機の連結作業が始まった。
時代の変化なのか、カメラよりもビデオカメラを手にした人の姿が目立っていた。
連結が完了すると、「出雲」のヘッドマークが輝く先頭側に多くの人が集まった。まだスマートフォンが無かった頃のこと、ガラケーで撮影している人もいた。
発車の時刻を迎え、ホームにメロディー音が響き渡った。かつては無機質なベル音だったが、駅舎が改築された1997(平成9)年からメロディーに変わっていた。
運転士が窓から後ろを振り返り、ホームの様子を確認してから、ゆっくりと発車して行った。かつては発車の際や列車通過の際に必ず鳴っていた汽笛の音も、鳴らさなくなったのは、いつ頃からだろうか。
駅員さんが見守る中、最後尾の赤いテールマークが目の前を通り過ぎ、次第に遠ざかっていった。
当たり前のように走っていた夜行列車、そしてブルートレインも、2000年代に入りダイヤ改正の度に次々と姿を消して行き、今では豪華な観光列車を除き、定期運行されるものは「サンライズ出雲」「サンライズ瀬戸」を残すだけになってしまった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。