京都地区から姿を消した旧国鉄電車113系・117系

2023(令和5)年の春、JR西日本の京都地区から旧国鉄時代から走り続けていた113系と117系が姿を消した。
共に近郊型に分類される電車だが、1987(昭和62)年までの旧国鉄時代、湘南色の113系は主に快速や普通電車として、昔ながらの関西急電カラーに彩られた117系は新快速として活躍していた。

その後、JRに変わってから、どちらも色の塗り替えや他線区への転出を経て、現在まで走り続けていた。

19780608-001

1978(昭和53)年6月8日、山科駅にて。この頃は、まだ冷房車の割合は低かったが、改造が続けられている最中ではあった。

19780917-001

1978(昭和53)年9月17日、東海道線・神足(当時)-山崎間にて。1974(昭和49)年の湖西線開業に合わせてデビューした113系700番台は、全てが冷房付きで、先頭車はシールドビームの小さなヘッドライトを装備していた。この当時、他の113系は行き先を表示している中、湖西線から直通する電車に関しては赤い「湖西線」の字幕を掲示したまま大阪方面まで直通しているものがあった。

19800115-001

1980(昭和55)年1月15日、東海道線・山崎-高槻間にて。上り京都行きの113系快速が、583系寝台特急「なは」と併走しながらやって来た。こういう所は、方向別の複々線の醍醐味の一つではあった。

19800115-002

同じ日、朝のラッシュタイムに、外側線を走る下り姫路行きの113系快速。当時、新快速は朝のラッシュタイムにあまり走っておらず、快速が外側線を走る光景がよく見られた。

19800211-001

1980(昭和55)年2月11日、山陽線・須磨-塩屋駅間にて。デビュー間もない頃の117系新快速。この頃は、まだ153系と混じって走っていた。1979年の晩秋に京都駅で117系の展示会があり、自分も撮影に行ったのだが、そのフィルム現像を失敗してパーにしてしまった苦い思い出がある。

19800211-003

同じ日、上り草津行きの113系快速。この当時、まだ編成の中ほどにグリーン車が1両、連結されていたが、関西地区では利用者が少なく、この年の10月ダイヤ改正をもって廃止になった。近年、「Aシート」としてグリーン車と同様の車両が連結されるようになり、利用者も意外と多いらしいが、これも時代の変化だろうか。

19800511-001

1980(昭和55)年5月11日、東海道線・山崎-高槻間にて。黒い貨物用電気機関車EH10と、目の前ですれ違った。

19810829-001

1981(昭和56)年4月29日、京都駅にて。この年の5月29日に予定されていた地下鉄の開業を前に、京都駅に地下通路が作られ、その関係で2番ホームの東側がきれいになっていた。

19810829-002

同じ日、上り東海道線・米原行きの113系。右側の1番ホームには、真新しい50系客車で編成された草津線・柘植行きの普通列車が停車していた。ちょうど、旧型客車から置き換えられたばかりだった。

19870208-113&117

1987(昭和62)年2月8日、東海道線・山崎-高槻間にて。この年、4月のJR発足を前にした頃。下りの西明石行き113系快速と、姫路行き117系新快速が併走して来た。この頃から、113系の行き先を示す字幕の下に英字表記が入るようになってきていた。

19871130-001
19871130-002

1987(昭和62)年11月30日、京都駅にて。当時、買ったばかりの300mm/F2.8の超望遠レンズが嬉しくて、早速撮りに出掛けた時のもの。

19880500-001

1988(昭和63)年5月、京都駅にて。117系に特別なヘッドマークが付く機会が幾度となくあったが、この特徴的な先頭車の形状もあって、取り付けには苦労していたようだ。

19890300-002

1989(平成元)年3月、東海道線・山科駅にて。117系では取り付け場所に苦労したヘッドマークも、113系は貫通路にスマートに取り付けすることが出来た。

19940818-001

1994(平成6)年8月18日、京都駅にて。関西空港の開業を祝うヘッドマークが取り付けられていた。

19940818-002

同じ日、京都駅に新設された奈良線ホームに、4両編成に短縮化された117系の姿があった。新快速の運用から外れて「都落ち」感はあったが、まだ原色のままだった。

19941230-001

1994(平成6)年12月30日、京都駅にて。次第に離脱して転属する車両が増えていたとはいえ、まだ新快速での運用も続いていた。

19950410-001

1995(平成7)年4月10日、京都駅にて。上り長浜行きの113系快速。北陸線は1991(平成3)年に長浜まで、交流から直流化されたことで、この頃は東海道線から直通する長浜行きの電車が多数運行されていた。

20100312-001

2010(平成22)年3月12日、湖西線・山科-大津京駅間にて。「都落ち」した117系は、4両編成になったものも多かったが、6両編成で残ったものは湖西線で原色のままで運用されているものがあった。

20100312-002

同じ日、113系で大幅に手直しされた「体質改善車」の両先頭車に、旧来の湘南色の中間車が挟まった4両編成が姿を見せた。体質改善車の113系は、当時のJR西日本をイメージしたカラーに彩られていたが、この塗色で活躍した期間は、結果的に短いものになってしまった。

20120312-001
20120312-002

2012(平成24)年3月12日、東海道線・京都-山科駅間にて。旧来の湘南色から体質改善車カラーに全てが塗り変わらないうちから、京都地区では緑一色の単色塗りに変わり始めていた。

20120312-003

同じ日、まだ湘南色の113系も残っていた。

20150225-001
20150225-002

2015(平成27)年5月22日、湖西線・北小松-近江高島駅間にて。長らく関西急電カラーだった湖西線の117系も、ついに緑一色の単色塗りに変わっていった。

20190731-002
20190731-001

2019(令和元)年7月31日、湖西線・山科-大津京駅間にて。この頃になると、湘南色の113系も見られなくなり、113系も117系も緑一色の単色塗りばかりになってしまっていた。

20200125-001

2020(令和2)年1月25日、吹田総合車両所にて。新たな夜行のリーズナブルな観光列車として、「WEST EXPRESS銀河」がデビューすることになったが、その車両が、まさかの117系を改造したものになった。
117系の廃車が進む今、最後まで残るのは、この「銀河」の車両になるのだろうか。

その昔、当時の自分には「見飽きた存在」として、あまりカメラのシャッターを切る意欲の沸かなかった被写体ではあった。しかし、引退の日が近付くにつれて、21世紀に生まれた若い人たちがこぞってシャッターを切っている光景と見た時、かつて旧型国電を追って全国各地へ乗りに、撮りに出掛けていた自分も、当時の大先輩方から見れば、同じように映っていたのかもしれないと思うようになった。

 

動画「京都地区から姿を消した旧国鉄電車113系(2019年7月~2023年3月撮影 京都市内・大津市内)」(←太字をクリックするとリンクに飛びます)

動画「「ウエストエクスプレス銀河」デビュー(2020年9月11日 京都市下京区・JR京都駅ほか)

動画「「国鉄型」電車が活躍するJR奈良線(2021年11月撮影 京都府宇治市・京都市)

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。