1982(昭和57)年の春休み、初めて発売された「青春18のびのびきっぷ(→後の青春18きっぷ)」を使って、関東方面を旅行した。
大垣発、東京行きの通称「大垣夜行」に乗り、まだ夜が明けてない東京駅に到着。まずは上野駅に行って、主に東北方面からやって来る夜行列車や、東北方面へ出発する特急などを撮影した後、青梅線のED16を撮影に行った。
青梅線でのED16の撮影(←太字をクリックすると記事に飛びます)を終えた後、立川駅で、青梅線から南武線に乗り換えようとしていたら、構内にEF15の姿があった。
関西では阪和・紀勢線の他にEF15が走っている線区は無かったが、阪和・紀勢線へはまだ撮影に出掛けたことが無かったので、このときが自分にとっては初めて見たEF15だった。
その後、青梅線から南武線に乗って、鶴見の方へ移動した。目的は、鶴見線の大川支線を単行で走るクモハ12に乗ることだった。
南武線から鶴見線へ、浜川崎駅で乗り換える。この辺りは貨物船としての色彩も濃く、あちこちでEF15の姿を見ることができた。
鶴見線では、黄色い101系が活躍していた。101系電車もまた、関西では関西線と片町線などでしか見ることができなかったので、自分には珍しい存在だった。
武蔵白石駅構内に、大川支線用のクモハ12単行が止まっていた。
駅にいた、黄色いヘルメットを被った国鉄職員の人から声を掛けられ、どこから来たというので「京都から」というと、たいそうびっくりしていた。
春休みとはいえ、少年が1人で遠く離れた地から撮影に来たというと、どこへ行っても驚かれたものだった。すると、職員の人が「線路に下りて撮ってもいいよ」と思わぬことを言ったのだった。
今だと考えられないことだが、振り返ってみると、何ともおおらかな時代ではあった。
武蔵白石と大川、たった1駅間の支線で、平日の昼間ということもあり、他に乗客はほとんどいなかった。
当たり前だが、あっという間に終点に着いた。ここでも運転士の人から線路に下りても良いと言われたので、お言葉に甘えて撮影したが、当時でも、特に線路に下りたから良い写真が撮れるとは思ってなかったので、不思議な誘い(?)ではあった。他のカメラを手にした鉄道ファンは、みな「線路に下りて撮っても良いですか?」と尋ねていたのだろうか。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。