1987年6月16日(火) 山陰線・二条-花園

1987(昭和62)年の春から秋にかけて、毎日のように山陰線のDD51を撮影に出掛けていた。既に旧型客車は姿を消していたが、真っ赤な50系客車(通称「レッドトレイン」)や、本来は急行用のでエアコンが付いていて乗客には好評だった12系、その12系を近郊化改造してサイドの白線が消された12系1000番台が、主に福知山機関区所属のDD51にけん引されて朝夕のラッシュ時を中心に活躍を続けていた時期だった。

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この日は、二条駅と花園駅の間、西大路通りをクロスオーバーする通称「円町ガード」の東側にある踏切に出掛けた。
 当時の山陰線・京都口では、朝夕のラッシュタイムを除くとオレンジ一色の「首都圏色」に塗られたキハ47系ばかりが走っていた。ラッシュタイムになると、9両や10両といった長い客車列車に混じって、急行用のキハ28・58系も間合い運用で普通列車としても使われていた。

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特急「あさしお」は、キハ82系から強力なエンジンを持つキハ181系に置き換わってから時間が経っており、もはや「当たり前の光景」になっていた。

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600ミリの超望遠レンズを付けたカメラのファインダーをのぞいていると、京都盆地を見下ろす愛宕山をバックに上り京都駅行きの客車列車がやって来た。先頭に立つのは、現在も健在であるDD51-1193号機だった。
 この当時、福知山機関区には、DD51の中では比較的新しいものが多く配置されていた。国鉄がJRに代わり、福知山機関区も無くなってしまったが、その旧福知山機関区に所属していて、山陰線の京都口で最後まで客車列車をけん引していたDD51たちは、今もJR西日本で現役として健在なものが多い。

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続いて、DD51-1125にけん引された客車列車がやって来た。1975(昭和50)年に製造された同機は、新製配置された福知山機関区から一度も離れぬまま、1992(平成4)年に廃車となった。僅か17年の車齢だった。

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キハ181系の特急「あさしお」が大馬力エンジンの轟音を残して走り去って行った。

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客車列車に使われていた真っ赤な50系客車は、エアコンを搭載してなかったので、春から秋にかけては、窓が開いていることが当たり前だった。
 走っている限り、爽やかな風が入ってくるので、暑い真夏でも、それほど暑かった記憶は無い。ただ、さすがに停車中などは、じわりと暑さを感じたことを覚えている。今となっては、普通列車でもエアコンが搭載されているのが当たり前となり、窓の開かない車両ばかりになった。
 そのため、鈍行列車で長時間停車中に窓を開けて、ホームにいた駅弁屋さんから「駅弁とお茶を購入する」といった光景も、もはや遠い昔の記憶となってしまった。

この撮影ポイントも、今では複線高架化されてしまい、円町駅も出来たので、景色は一変してしまっている。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。