2008年3月14日(金) お別れ・寝台特急「なは・あかつき」 京都駅

2008(平成20)年3月、春のダイヤ改正に伴い、関西と九州を結ぶ寝台特急がついに廃止されることとなった。
 小学生の頃、関西と九州を結ぶ夜行列車は、寝台でない座席の急行なども含めれば、片道で20本以上もあったものが、このときには最後の1本(=寝台特急「なは+あかつき」)になっていた。
 時を同じくして、長らくビジネスマンに親しまれていた、東京と大阪を結ぶ寝台急行「銀河」も最後の日を迎えることとなっていた。

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最終の下り列車が出発する3月14日の夜、京都駅に着くと、恐ろしいほどのカメラを手にした人たちの姿が、6・7番ホームにあった。そのカメラの放列の中を、EF66に導かれて青い車体がホームに滑り込んできた。

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かつての自分みたく、カメラを手にした少年の姿もそこかしこにあった。

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最終列車のハンドルを握る運転士(機関士)さんや車掌さんに花束が贈られた。

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長らく鉄道写真から離れていたので、久しぶりに来た京都駅6・7番ホームは、かなり趣が変わっていた。

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以前であれば、出発の際には必ず大きな汽笛が響いていたものだが、いつしか鳴らさなくなってしまった。この日の最終列車も、特に汽笛を響かせること無く、静かに動き始めていた。

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動画撮影でもしていて「手が空いている」のか、見送りで手を振っているファンの姿もけっこうあった。

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京都駅だけでなく、この先、停車駅だけでなく沿線にもカメラの放列があるだろうから、こうした最終列車の運転士さんは名誉もあるだろうけど、気遣いも大変だろうな、と思った。

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青い車体は、相当にくたびれていて、あちこちに塗料の剥落があって、見るからにみすぼらしかった。かつての国鉄時代だったら、最終列車こそ綺麗に磨き上げて見送っていたものだが、そうした伝統もJRになって受け継がれなくなってしまったのだろうか、と思った。

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少年の頃、憧れの存在の一つだったブルートレインも次々と姿を消し、かつては当たり前の存在だったものが、もはや当たり前でなくなっていったことに、嫌でも現実として思い知らされた気がした。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。