1978年2月12日(日) 京都駅・その3

まだ京都市内を市電が走っていた1978(昭和53)年の2月のこと。その市電に乗って、京都駅を訪れた。

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京都駅1番ホームに、北陸方面に向かう485系の特急「雷鳥」がやって来た。この当時、向かい側の2番ホームは今よりも短く、1番ホームの東側の向かいにはホームが無く、特徴的な屋根の端っこが見えていた。

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出発した「雷鳥」をだいぶ遅れて後追い撮影。当時、まだ1番ホームの東端には信号柱があった。右の遠くには、奈良線のキハ35系2両編成が見えているし、左側の1番ホーム端の留置線にはEF58と荷物車が止まっていた。

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東海道線下りの7番ホームと奈良線8番ホームの間には、通過線の他にも線路が何本もあり、さらに西側には荷物車や客車の留置線があった。のんびりとした昼間、EF58が蒸気暖房の白い水蒸気を上げながら、荷物車を入れ換えしている光景がよく見られた。

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前にも書いたが、東海道線下り6番ホームの西端には、蒸気機関車の時代からの名残りである給水塔があった。いつの間にか消えていたが、果たして、いつ消えてしまったのか記憶は定かではない。
 その6番ホームの東側には、洗面台がずらりと並んでいたのも、かつて蒸気機関車の時代に、煤で汚れた顔を洗うためだった。そんな洗面台は、東海道線の大きな駅だと、どこにでも見られたものだった。そんな洗面台の写真を撮ってなかったのが、今となっては残念だ。

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今、オリジナルなEF66が最後の1両となって話題になっているが、この当時はいっぱい走っていた。

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ヘッドマークこそ姿を消していたが、当時は大阪と名古屋を結ぶ急行「比叡」が2往復走っていた。低窓の153系がまだばりばりに現役で走っていたが、そのオレンジ一色の前面は、どちらかと言えば優美な2枚窓「湘南型」の80系の方が好きだった自分は、あまり好みではなかった。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。