1978(昭和53)年の夏休み。8月中旬のお盆休み、大阪の野田へ向かった。
国鉄の野田駅近くにある金光教野田教会で、法事が行われるためだった。母方の祖母は岡山県倉敷市出身で、母方の祖父は大阪出身だが、共に岡山に本部がある金光教を信仰しており、親族が野田教会と関わりがあるらしかった。
阪急の河原町から梅田まで特急で移動し、大阪駅から国鉄に乗り換え、大阪環状線の野田駅へ。
早く着き過ぎたので、ホームで113系の快速・奈良行きを撮影する。
この年の夏は「空梅雨」で、雨がほとんど降らないまま梅雨明けし、その後も晴れの日ばかりが続いていた。福岡県や淡路島では渇水になり、取水制限が行われているような状況だった。しかし、最高気温が35度を超えるような日は、今ほど多くなかった。
当時は、まだ特急以外の鉄道車両や、市内を走る路線バス、そしてタクシーに至るまで、ほとんど冷房が搭載されてなかった。もちろん、家にクーラーがあるというのも限られていて、今みたいに各部屋にエアコンなんて考えられなかった。
ちなみに、上の113系快速は、冷房を積んでいるのに窓が複数開いていたので、クーラーは稼働してなかったようだ。当時、まだ冷房を搭載したばかりの時で、そういうことがよくあった。
反対側を、今度は梅田貨物駅の方から入れ換え用のDD13が単機でやって来た。
その後、法事を済ませて、帰路につく頃には、既に日が傾き始めていた。
奈良から来た快速が通過していった。当時のカラーフィルムは、露出アンダー(=露出不足)に弱く、ラチチュード(=明るい部分から暗い部分までの再現可能な幅)も狭かったので、逆光になると、途端に写りが悪くなった。
ようやく普通の103系がやって来たが、冷房搭載車だった。当時の国鉄では、大阪などの都市部から冷房を搭載する「冷改」が施されていたが、この頃の東海道線の普通や快速では、まだ半分ほどが非搭載車だった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。