1987年2月8日(日) 東海道線・山崎-高槻 その3

国鉄がJRになるのを控えた1987(昭和62)年の2月、通いなれた東海道線の山崎-高槻間(=当時)を訪れた。
当時には、この辺りの沿線には田畑がけっこう残っていて、遠くバックに天王山系の山々を望むことが出来た。有名なサントリー前カーブから高槻寄りには、今ではマンションが立ち並んでいるが、当時は建っておらず、線路沿いの見晴らしも良かった。

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まだ空気が冷えているのを感じる中、EF65PFけん引の、コンテナ車で編成された高速貨物列車が姿を見せた。ほんの数年前までEF60やEF65一般型が活躍していた貨物列車も、コンテナ車で編成された高速貨物列車が主体となると、EF65PFやEF66の姿が目立つようになっていた。

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伝統的な国鉄特急の威容を誇っていた485系の特急「雷鳥」も、当時は見飽きた存在だった。

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朝日が差し込み始めた頃、キハ181系の特急「はまかぜ」がやって来た。大排気量のディーゼルエンジンを響かせ、高速で走行するキハ181系は、それまでのキハ82系に比べると迫力を感じたものだった。

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長野行きの381系特急「しなの」が姿を見せた。カーブを高速で走ることのできる振り子式車両の381系だったが、東海道線の区間では振り子装置はカットされていて、それほど車体は傾かなかった。

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ボンネット型を先頭にした485系特急「白鳥」がやって来た。大阪と青森を昼間に14時間かけて走破する特急は、当時でも凄い存在だと思ったが、大阪から青森まで通しで利用する乗客は、さすがにほとんどいなかったようだ。

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全国的に引退が進む117系も、当時は新快速用の車両として、バリバリに活躍していた。

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485系の「雷鳥」は1時間に1本走っていたので、何度でも撮影するチャンスがあった。

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この日は、京都駅構内の自販機で売っていた「銀河コーヒー」という名の缶コーヒーで一服。京都駅から旅立つ時、「はぎのや」の駅弁と並んで、よく買っていた一品だったが、いつの間にか見かけなくなってしまった。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。