1988年3月12日(土) 大湊線

1988(昭和63)年3月13日、世紀の大工事と言われた青函トンネルが遂に開業の日を迎えた。それは、逆に言えば、青函連絡船の運航が最後の日を迎えるということでもあった。
 その3月13日は、青函トンネルの運行初日でありながら、一方では青函連絡船も最後の運航がなされており、最初で最後となる両方が運行・運航される日となった。

学生の身分で自由に行動が出来た当時の自分は、最期を迎える青函連絡船に乗って北海道に渡り、青函トンネル開通初日の列車に乗って帰って来るという予定を立てたのだった。

新幹線で東京に行き、上野駅から寝台特急「出羽」に乗って秋田に行き、特急「いなほ」に乗り換えて、お昼に青森駅に着いた。奇しくも、今年と全く同じカレンダーである、この日=3月12日・土曜日の夜は、青森駅を21時55分に出航する青函連絡船・八甲田丸に乗船予定だったので、それまでの空いている時間を利用して、青森県の野辺地-大湊を結ぶ大湊線へ乗り潰しに行くことにした。

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野辺地駅には、東北地方の北部と北海道でしか見られないキハ22が出発を待っていた。
 基本は朱色一色の首都圏色だったが、この頃には白い帯を巻いていた。

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京都と違って、こちらは日が暮れるのが1時間ほど早い。あっという間に暗くなってしまい、車窓の景色を楽しむことは早々に無理となってしまった。

当時の大湊線では、まだタブレット閉塞式だったので、対向列車とすれ違う時は、決まってタブレット交換が行われていた。

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薄暗い大湊駅に到着。時間が有り余っている訳ではないので、乗ってきた列車で、そのまま折り返す。

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京都では梅の花が咲き誇る時期にあたる3月中旬だったが、青森ではまだ外は雪景色だった。
 外に出ても寒く、車内で出発を待つ。

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野辺地駅に戻ってきたときには、すっかり夜になっていた。
 南部縦貫鉄道の乗り換え駅でもあるのだが、早くも最終列車が出てしまっていたのか、「レールバス」と大きく書かれた跨線橋の電気は、既に完全に消えてしまっていた。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。