1979年6月17日(日) 北陸線・新疋田-敦賀

1979(昭和54)年6月の日曜日。この日は朝から快晴だった。
 市電が無くなり、始発の市バスに乗って京都駅へ向かい、東海道線の米原行き鈍行に乗り込み、米原からは旧型客車で編成された1247レ(列車)に乗車。

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新疋田に降り立ち、しばらくするとやって来るのが、大阪行きの寝台特急「日本海4号」だった。撮影ポイントまでは歩いて30分近く掛かるので、いつもこの「日本海」を撮影してから移動していた。

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475系の急行「ゆのくに」が姿を見せた。グリーン車を組み込んだ堂々とした編成で、関西と北陸を結ぶ優等列車の中では、その多くが湖西線を経由する中で、珍しく米原経由で運転されていた。

この日、初めてリバーサルフィルム(カラー)を使った。エクタクローム64という、ASA(→ISO)感度64のフィルムだったが、結果的には露出をばっちり合わせないとキレイに写らないフィルムであり、露出計が無いカメラで、カンでシャッタースピードと絞りを合わせていた子どもの自分には到底、使いこなせないものだった。

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当時は見飽きた存在だった485系の特急「雷鳥」は、グリーン車2両に食堂車まで組み込まれ、12両編成という長さだった。

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475系の急行「立山」がやって来た。当時、北陸線を走る475系の定期急行は3種類あり、富山と大阪を結ぶのが「立山」で、金沢と大阪を結ぶのが「ゆのくに」、米原と金沢を結ぶのが「くずりゅう」だった。他に臨時で大阪と金沢を結ぶ「加賀」という急行もあったが、こちらは客車だったり、気動車だったりもした。

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京都から撮影に訪れた自分には、目新しかったのが485系の特急「しらさぎ」だった。ボンネット型の先頭車が多かった「雷鳥」とは異なり、こちらは貫通型や真新しい非貫通型の先頭車が多く見られた。

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不意にEF81けん引のスロ81系で編成された「お座敷列車」がやって来た。慌てていたのか、それとも逆に余裕があったのか、流し撮りで撮影していた。

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当時は貨物列車も多く見られたが、湖西線経由で大阪方面に直通する列車はEF81けん引で、名古屋方面に向かう列車はEF70けん引だったが、後者は当時でも少なく、同じEF70は客車列車をけん引している姿の方が多く見られた。

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米原発着の485系特急「加越」は、当時は日本で最も編成の短い特急として知られていた。短いと言っても7両あり、今では2両編成の特急も存在する中では長い方なのだが、当時は特急といえば12両編成ぐらいが当たり前だったので、7両でも見すぼらしく感じたものだった。

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475系の急行「くずりゅう」は、当時でも本数が少なく、なかなかお目にかかれなかった。当時の自分は「くずりゅう」の名前の意味を知らなかったが、それが九頭竜川に由来すると知ったのは、それからだいぶ後の話だった。

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この撮影時の前の年(1978年)の10月から特急「雷鳥」で運用されるようになった583系も、当時は食堂車を組み込んだ12両編成という長さだった。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。