1986年3月19日(水) 日田彦山線

1986(昭和61)年3月、九州ワイド周遊券を使って文字通り九州を一周する旅をした。
 寝台特急「みずほ」で九州入りし、小倉で一泊した後、3日目の朝は門司駅で下りのブルートレインを撮影した後、日田彦山線のキハ66・67系で編成された気動車列車に乗り込んだ。

19860319-6

車窓には、かつて炭鉱で栄えていた地域が広がり、炭鉱を掘り進んだ時に発生した捨て石を積み上げた「ボタ山」が目についた。

19860319-3

山越えしたかと思うと、盆地に広がる田園地帯が広がってもいた。

19860319-4

道中、真っ昼間なのに「夜明」という不思議な駅名標が目に入った。

19860319-2

2扉のキハ66/67系は、転換クロスシートの車内になっていて、関西地区で走っている117系「新快速」と同じような感じだった。

19860319-5

日田駅で途中下車して、駅前にあった食堂で遅い昼食を摂ったが、何を頼んで食べたかは、すっかり忘れてしまった。

19860319-1

ここからは久大線で豊後森へ向かった。古びた扇形庫にキハ07が保管されているからだった。

19860319-7

豊後森でキハ07の撮影を済ませた後、さらに東へ=大分方面へ向かう。途中、豊後中村駅ですれ違いのため停車した。
 九重山への最寄り駅だが、奇しくもこの4年後、カメラマンの仕事で京都市内にある中学校の修学旅行に同行して、その九重山の登山をしたのだった。まさか、再びこの地を訪れることになろうとは、当時は予想もしなかった。

この日田彦山線は、2017(平成29)年7月に起きた九州北部豪雨で大きな被害を受け、橋が流失したり、駅舎の崩壊などに見舞われた。このため、長く不通になり、バスによる代行運転が続いていたが、元から利用客の減少が続いていたことと、鉄道の復旧には莫大なお金が掛かるということもあり、遂には復旧を諦めるという事態になった。そして、区間によっては完全な廃止や、軌道跡をバス専用道に転換しての「BRT化」といった方策がとられることになった。
 このため、添田駅と夜明駅の間は、残念ながら、もう二度と鉄道での旅が楽しめなくなってしまった。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。