1987年3月6日(金) 山田線~三陸鉄道南リアス線~大船渡線

2011(平成23)年3月11日、東日本大震災が起こり、その津波で東北地方の太平洋側が壊滅的な被害を受けた。
 その影響で、鉄道も大きな被害を受けて、復旧を断念した路線もいくつか発生した。

1987(昭和62)年の春休み、その東北地方の太平洋側の三陸地域を鉄道で縦断した。
 とはいっても、北は青森県から南は宮城県までの三陸海岸は、とてつもなく長く、このときは、およそ南半分を縦断したのだった。

盛岡駅前のホテルに泊まった翌朝、雪が舞う中、駅に向かった。

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当時、まだ地方には自動改札機なんて無く、昔ながらに駅員さんが切符にパンチを入れていたのだが、今の若い人にはピンとこないかもしれない。

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盛岡駅のホームには、キハ28・58系からなる急行「陸中」が出発を待っていた。

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向かい側のホームに、青い12系客車の鈍行列車が入線してくると、どっと乗客が降りてきていた。

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広い盛岡駅構内には、役目を終えた古い気動車たちが留置されていた。
 そして、まだ客車列車が活躍していた当時とあって、折返しで機回しするED75機関車の姿が見られた。

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秋田方面に田沢湖線経由で向かう特急「たざわ」の姿もあった。

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宮古駅からは三陸鉄道南リアス線に乗車。時刻表の地図では、海沿いを走るコースなので、車窓の景色を楽しめるものと思っていたが、実際にはトンネルが多く、意外と山の中を走っている区間の方が多いような感じだった。必然的に退屈になり、一方では温かい車内の暖房に窓も曇ってきて、睡魔が襲ってきた。

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長い時間を掛けて、三陸地方を縦断するカタチで開通した鉄道路線だったが、国鉄としてではなく、第3セクターで開業した三陸鉄道の区間は、元から多くの乗客を見込めず、スタートから経営は苦しいものだった。観光客の誘致も行っていたが、この日、自分たちの他は地元の乗客ばかりだった。

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1両編成の単行で運行されていたが、自分の地元である関西地方では、当時、ほとんど見られなかったワンマンカーだった。

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盛駅に到着。今まで乗ってきた車両は、折返し釜石行きになった。

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盛駅の構内には、岩手開発鉄道の車両も見られた。当時は、まだ旅客営業を行っており、古い旧国鉄の気動車も健在だった。

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この地域では、キハ40系もキハ20系もみな朱色一色塗りの首都圏色に、白い帯が入っていた。

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青森辺りでは寒地向けのキハ22が見られたが、この辺りではキハ20の姿があった。

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この日は風が強く、「警戒」の標識が出ていた。
 この後、大船渡線から気仙沼線、石巻線に乗車したが、あっという間に日が暮れて真っ暗になり、車窓の景色は全く見えなかったのだった。こちらの方では、自分の住む京都より少なくとも30分ほど日が暮れるのが早いのだということを思い知らされた。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。