1982年3月30日(水)~31日(木) 上野駅

1982(昭和57)年の春休みは、普通列車であれば「国鉄全線が乗り放題」という謳い文句で新たに発売された「青春18のびのびきっぷ」(→後の「青春18きっぷ」)を利用して関東方面へ撮影のために遠征した。まず、京都から豊橋に行き、旧型国電が走っていた飯田線を撮影の後、岐阜県の大垣まで戻ってから、東京行きの夜行鈍行に乗って東京駅に着き、青梅線で走っているED16を撮影した。

その後、上野駅に行った。当時、東北・上越新幹線の開業前だったので、上野駅は昼間でも数多くの特急・急行列車が発着していた。

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常磐線で見飽きるほど走っていたのが特急「ひたち」だった。

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関西では、ボンネット型の485系は特急「雷鳥」ぐらいだったが、こちらは色々な列車があった。この特急「あいづ」も、その一つだったが、折り返しで「ひたち」に変わるらしく、先頭車の乗務員乗降口の横にヘッドマークが車体にもたれかかるように置いてあった。

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東北線、常磐線とも、当時はまだ旧型客車で編成された普通列車が発着していた。編成も長くて、荷物車・郵便車を併結していることも多かった。

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特急には食堂車が連結されていることも多く、上野駅に到着するとホームに食堂車の従業員が降りて来る姿も見られた。

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当時は急行列車も数多く走っていて、東北・常磐線系では475系が、上越線系では165系の姿が見られた。

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東北・常磐線系の列車は、まるでヨーロッパの駅を思わせるかのような、行き止まり式のホームで発着していた。関西だと、天王寺駅ぐらいだが、上野駅の方が規模でははるかに上回っていた。
 485系の特急「やまびこ」の左隣には、583系の特急「みちのく」が停まっていた。「みちのく」は上野と青森を結ぶ昼行の長距離特急電車だったが、なぜか向かい合わせボックス席の583系が充当されていた。全く同じく区間を何本もの夜行列車が走ってるぐらいなので、聞いただけで、上野-青森を座席に座って「通し」で乗るには、かなり疲れそうな感じがしたが、実際はどうだったのだろうか。いや、そんな「通し」で乗るお客さんはいないか…。

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485系の姿を最も多く見たのは、特急「ひばり」だっただろうか。
 だが、地下に新幹線ホームが建設中であり、この当時にして既に在来線ホームの一部が姿を消し始めていた。

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上の階に上がると、上越線系の特急が発着していた。485系の特急「はくたか」の隣に見える元祖ボンネット型の181系も、特急「とき」で健在だった。

翌日の夜、再び上野駅を訪れると、また雰囲気が変わっていた。

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183系の特急「とき」を撮影していると、隣に寝台特急「北陸」が入線してきた。

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下の階では、寝台特急「ゆうづる」が停車していた。白帯のカヤ24は、当時、関東でしか見ることが出来なかった。
 また、ここの行き止まり式ホームに入って来る客車列車は、機関車の推進運転で入線するため、夜間の場合は乗務員が視認するための小さなライトが取り付けてあった。

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こちらでは、寝台特急「あけぼの」が出発を待っていた。当時の上野駅は、今では考えられないほどの本数の夜行列車が走っており、まさにひっきりなしに出発して行った。

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見飽きるぐらい走っていた485系も、ボンネット型あり、貫通型あり、非貫通型もあって、しかも特急の種類そのものも多かったので、今では考えられないほどバラエティに富んでいた。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。