近畿地区で「福島駅」と言えば、真っ先に思い浮かべるのは大阪環状線にある駅だが、関東では当然、福島県の「福島駅」になる。同様に、近畿で郡山駅と言えば奈良県にある駅を連想するが、これも関東では福島県の郡山駅になる…。
こんな感じで、同一名の駅が日本国内に複数あるケースというのは、意外といくつもあるものだ。
1983(昭和58)年の春休みの旅行は、「みなみ東北ワイド周遊券」を使った旅だったが、まずは大垣発の夜行鈍行に乗って東京へ向かい、東戸塚で東海道線の上りブルートレインを撮影した後、役目を終えて大量に留置してあったED16を撮影に立川機関区へ立ち寄った後、夜になって上野発の夜行列車に乗り、東北の方へ向かったのだった。
その後、奥羽線の板谷峠を行き交うEF71・ED78の客車列車を撮影した後、日が暮れてから郡山駅に到着した。
仙台駅構内のはずれには、役目を終えたED71が何両も留置されていた。
当時、奥羽線に限らず東北線、常磐線にも、まだ旧型客車を使った普通列車が走っていたが、50系客車の新製が進み、置き換えも進行していた。
この時、コダックから発売されたばかりの高感度カラーネガフィルム「コダカラーVR1000」を初めて使用していた。当時、高感度のカラーフィルムといえば、ASA(→ISO)400が最高だったので、1000という高感度は画期的だった。(翌年、富士フィルムから「フジカラーHR1600」が発売された)
今では、高級なデジタルカメラではISO・51200とか102400という、とんでもない数字の感度が使えるが、まさに隔世の感がある。
東海道線ではEF58の独壇場だった急行荷物列車も、こちらではED75がけん引していた。
夜の仙台駅も深夜を迎えて、夜行列車が行き交う時間帯になり、583系の寝台特急「はくつる」が姿を見せた。当時、「はくつる」は583系電車しかなく、後にブルートレイン化されるとは、当時は思いもよらなかった。
一方で、同じ上野と青森を結ぶ「ゆうづる」の方は583系と24系25形ブルートレインがそれぞれ複数本、運転されていた。
この日の夜に車中泊でお世話になる列車は、上野行きの夜行急行「十和田」だった。周遊券を使うことで無料で乗れる自由席の利用だったが、席が空いておらず、立ち席=デッキで一夜を過ごす羽目になった。しかも、仙台→平までの利用で、乗車時間は4時間しかなく、平駅で降車後は、ここから乗車する磐越東線の始発列車の発車時刻まで待合室のベンチで眠りこけていた。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。