1986(昭和61)年のゴールデンウィークが明けた頃、京都駅発の一番電車に乗って奈良方面へ向かい、大阪にある大学へ通う道中の途中駅でもあった近鉄の郡山駅を降り立った。

小雨が降る中、駅の近くにある踏切で少しだけ撮影。いつも車中から眺めていた景色の中に足を踏み入れると、まだ違った角度から街が見えて、それはそれで楽しい時間ではあった。

しばらくして雨が止んだ。ホームは通勤、通学の人たちで混んでいた。

近鉄の郡山駅から南の方へ歩いて行くと、次第に田園地帯が広がる風景に変わっていった。あちこちにある池では、色々な種類の金魚が養殖されていた。

近鉄と国鉄関西線が交差する場所まで歩いて行く。周囲に広がる田んぼでは、田植えが始まろうとしていた。今でこそ、ゴールデンウィーク中に田植えをするケースが多くなったが、当時はゴールデンウィークが明けてからの方が多かった気がする。

関西線では、ウグイス色に黄色の警戒帯を巻いた103系の普通と、白地に朱色の帯を巻いた113系の快速が走っていた。
快速には、当時の国鉄天王寺鉄道管理局が始めた「あなたとなら大和路」キャンペーンにちなんだヘッドマークが掲げられていた。
お昼を過ぎて午後になると、授業を終えた小学生らの姿が目立ち始めた。
昭和の時代には当たり前のように見られた光景でもあった、路地にある駄菓子店で、アイスクリームを食べたのを覚えている。

再び歩いて、近鉄郡山駅の方へ戻る。駅まで戻ったところで、駄菓子店に雨傘を忘れてきたことに気付いた。
だが、往復で40分以上は掛かるであろう道のりをもう一度歩いて戻る気もせず、ただのビニール傘だったこともあって、そのまま帰ってしまったのだった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。