1984年3月24日(土)~25日(日) 寝台普通列車「山陰」~山陰線縦断

1984(昭和59)年の春休み、終業式のあった日の夜、「山口・秋芳洞ミニ周遊券」を手に京都駅に向かった。
 京都駅の山陰1番ホームには、寝台車1両を併結した出雲市行きの夜行普通列車「山陰」が停車していた。古い10系寝台車を連結しており、それに乗るつもりだったが、春休みの土曜日ということもあってか、切符を買いに行った時点で既に満席だったので、仕方なく、普通の座席車に乗り込んだ。

この年の2月、郵便・荷物輸送の廃止による郵便・荷物車の連結廃止と、旧型客車から12系客車への置き換えがあったが、寝台車の連結は継続された。そのため、冷房付きの近代的な12系客車+古い10系寝台車という組み合わせに変わっていた。

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前夜、雨の降っていた京都市内とは一変して、山陰の方では晴れた朝を迎えていた。窓から前方を見ると、先頭のDD51に続いて、寝台車のオハネフ12が見えた。

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京都口では旧型客車から青い12系や赤い50系への置き換えが進んでいたが、米子・鳥取方面では、まだ旧型客車が活躍を続けていた。

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伯備線の電化に伴い、山陰線も一部が電化されたため、まだ真新しい381系の特急「やくも」が走り始めていた。

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米子駅でも、381系「やくも」とすれ違った。

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出雲市駅の構内には、赤いレンガ造りの機関庫があり、近くには旧型客車や、「山陰」用の10系寝台車が留置してあった。また、当時は山陰線の非電化区間でも貨物列車が健在で、このときもDD51けん引の貨物列車が見られた。
 この山陰線の電化された区間は、どこも電車用にホームがかさ上げされていたのが目に付いた。

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電車化されたことで「やくも」では見ることが出来なくなったキハ181系が、特急「おき」ではまだ健在だった。

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出雲市からは、急行「さんべ」に乗って、さらに山陰線を西に向かった。前夜、寝台車に乗れなかったので、この区間で疲れを癒やそうと、このときはグリーン車に乗った。ちなみに、このときが初めてのグリーン車への乗車だった。

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グリーン車といえど、急行に使われている車両は窓が開く構造になっていたが、下降窓になっており、一つの窓に丸い取っ手が2つ付いていた。

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東萩駅で「さんべ」を降りて、ここからはローカルな普通(客車)列車の旅になった。

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この辺りは海沿いを走る区間が多かったが、疲れで居眠っていたためか、あまり写真を撮っていなかったようだ。

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同じ山陰線でも、山口方面は旧型客車から赤い50系への置き換えが進んでいた。冷房は無かったものの、自動ドアの新しい車両だったが、その活躍期間は国鉄がJRになったせいもあってか、短かいものになってしまった。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。