1988年5月21日(土) 近鉄・富雄駅と京都線の「快速急行」

1988(昭和63)年5月のある週末、当時通っていた大学でお世話になっていた、隣のゼミの先生の家に遊びに行くことになった。
 その先生の自宅は、奈良の近鉄富雄駅の近くにあり、奈良経由の近鉄定期券を持っていたこともあり、さほどお金を使わずに行くことが出来た。

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雨の降る富雄駅に降り立つ。行き交う近鉄電車には、当時、奈良公園などで行われていた「シルクロード博」のヘッドマークが付いていた。

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富雄駅のホームには、西大寺で乗り換えが必要で、直接は行けないのに「京都方面行き」のホームを知らせる看板が出ていた。果たして、ここから京都へ近鉄で出掛ける人がいるのだろうか、と正直思ってしまった。

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土曜の朝ということもあり、駅前は閑散としていた。駅前には大きな看板を掲げた写真店があったが、これは当時の「駅前」なら、多くの場合で必ずのように見られた光景ではあった。デジタルカメラが普及し、さらにはスマホがそれにとってかわった今、写真店そのものが、ほぼ姿を消してしまっている。

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朝は雨が降っていたのに、帰り際にはウソのように晴れ上がっていた。西大寺のホームで、角張ったアルミ製車体が特徴の8000系試作車に出会った。1編成しかない珍車だった。

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近鉄京都線を行き交う特急電車の車両は、京都線用の車体が狭い18400系や18200系の姿がよく見られた。車体が狭いのは、京都線がかつて「奈良電」と呼ばれていた奈良電気鉄道の時代だった頃の名残りだが、既に幅広の車体に対応していた当時でも、もはや京都線専用の車両というのは意味があまりなかったように思う。

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この頃、前述の「シルクロード博」の開催に合わせて、京都-奈良間に臨時で「快速急行」も運転されていた。当時の特急と比べると、丹波橋が停車駅に追加されたのみで、料金不要で速く京都と奈良の間を結んでいるので、価値があるように思えた。すると、10年後の1998(平成10)年に定期列車として運転が開始されるようになったのだが、急行との誤乗が相次ぎ、利用客数もそれほど多くなかったため、あえなく2003(平成15)年に廃止されてしまった。
 ちなみに、丹波橋駅には2002(平成14)年から特急の停車駅になったため、一時的に料金の必要な特急と、料金不要な快速急行が、全く同じ区間を全く同じ停車駅で走っていたのだった。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。