1986年5月12日(月) 近鉄・あべの橋駅前&国鉄・天王寺駅

自分が大学に通い始めた頃、時代はまだ「昭和」だった。
 1986(昭和61)年は、1月末にスペースシャトル・チャレンジャーの爆発炎上事故があり、2月末にはフィリピンでマルコス政権が崩壊し、3月から4月にかけてハレー彗星が76年ぶりに最接近し、4月末にはウクライナのチェルノブイリ原発で爆発事故があった、そんな年だった。

京都から片道3時間かけて大阪の南河内にある大学まで通っていた自分だったが、定期券が一枚で済む近鉄の奈良経由で通っていたため、意外と大阪府南部にある主な地域には足を運んでいなかった。大阪府南部の拠点である天王寺界隈も、大学に通っていた間、足を運んだのは(道頓堀でよくやった)コンパなどの宴会の時ぐらいだった。そのため、それほど写真も撮っていなかった。

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1986年5月、その天王寺界隈を訪れた。今では「あべのハルカス」のある場所も、かつては近鉄百貨店のある近鉄・あべの橋駅だった。当時は、まだネオン管式の「吉野ゆき特急 69分」といった近鉄の宣伝広告が健在だった。

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国鉄・天王寺駅&近鉄・あべの橋駅前にある歩道橋の上には当時、前に小皿やお盆を置いて座り込み、小銭(時には紙幣も)を恵んでもらう人たちが複数いた。その中に、小綺麗なおばあさんがいて有名だったのだが、その方が亡くなった際には、貯金が2000万円以上もあったことが発覚したという噂話が広がり、ちょっとした騒ぎにもなった。本当かどうかは分からないが、身寄りが無かったため、そのお金は大阪市に寄付されたという話もあった。

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あべの橋駅と言えば近鉄が思い浮かぶが、路面電車である阪堺電車も、同じくあべの橋駅が一つのターミナルだった。いや、ターミナルと言っても、行き止まり式のホームに線路1本しかなかったが。

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京都では市電が姿を消していたのに、大阪では、まだ活躍していることに、京都人の自分は少しショックを受けたというか、京都も路面電車を部分的にでも可能な場所を選んで残すべきだったのではないかと思ったものだった。

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昼間のデータイム、がらんとした国鉄・天王寺駅の構内に、立ち食いのうどん・そば店が出ていた。その昔、乗り換えのあるような大きさの駅には決まってホーム上にあった、こういうオープンなカタチの立ち食い店は、今では殆ど見ることが出来なくなった。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。