1997年10月11日(土) 京阪京津線・その2

自分が物心ついた頃には、日本一とも形容される営業キロ数を誇った京都市電を始め、市内には路面電車が数多く走っていた。
 市電の他には、嵐電と京阪・京津線があったが、市電は1978(昭和53)年に全廃となり、残る2つのうち、京阪・京津線の方は、1997(平成9)年に地下鉄東西線の開業と引き替えに地上から姿を消すこととなった。

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秋の夕暮れ時、渋滞するクルマをかき分けながら、濃緑と緑のツートンカラーに塗られた京津線の電車が夕方のラッシュタイムの中、走っていた。

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当時は、普通と準急の2系統が走っていたが、三条駅を出ると四宮駅までは、途中で追い抜くことが出来ないので、ダイヤを組むのは大変そうだった。

運行最終日となる10月11日(土)の朝は冷え込んでいて、うっすらと霧のようなもやが残る時間帯から撮影に出掛けた。

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真新しい700型の準急が三条駅に向かって通過して行った。

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太陽が姿を見せてから、京津線の代名詞のような80型が姿を見せた。この80型は、東西線開業と合わせて引退することが決まっていた。

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その80型と同じく、引退する260型には、お別れのヘッドマークが付けられている編成があった。

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比較的新しい600型や700型は、東西線開業後は石山坂本線で引き続き使用されることが決まっていたが、もう京都市内では見ることが出来なくなることを意味していたので、こちらも実質「お別れ」ではある。

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東山三条駅では、近くに女子高が2つあったので、朝のラッシュタイムには京津線を利用して通学する多くの女子高校生の姿が見られた。

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三条通を走る市バスも、地下鉄東西線の開業に合わせて大幅に改変されることが決まっており、醍醐営業所の廃止を知らせる小さなヘッドマークがバスに飾られていた。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。