1980年11月23日(日・祝) 東海道線・神足-山崎

1980(昭和55)年11月23日の「勤労感謝の日」は、日曜日と祝日が重なっていた。そのため、翌日の月曜日が振替休日になり、まだ週休2日制が普及していなかった当時としては、貴重な連休だった。

当然、学校は休みなので、朝から始発バスに乗り、京都駅から東海道線を走るスカイブルーの103系普通に乗って山崎駅で下車。神足(現・長岡京)の方へ歩いていき、顔馴染みのおじいさんがやっている畑の撮影ポイントへ向かった。

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駅を出て、撮影ポイントに向かって歩いていると、珍しいEF66-901号機のけん引するコンテナ列車が通過して行った。この901号機は、当初、EF90として登場した試作機である。

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今度は、もみじ柄の急行マークを掲げた阪急2300系が通り過ぎて行った。この当時、紅葉の時期になると、阪急京都線では、梅田発、嵐山行きという臨時急行がよく運転されていた。

畑のあぜ道を通って撮影ポイントに向かう。辺りには有機農法の「独特な臭い(=注*当時はまだ「肥溜め」が使われていた)」が漂っていた。

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若干、霧が掛かっている中、ヘッドライトを点灯した117系の新快速が姿を見せた。まだデビューして1年も経っておらず、153系のブルーライナーから置き換えが終わったばかりの頃だ。

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EF66がけん引する一般貨物列車がやって来た。当時、本来はコンテナ車で編成された高速貨物列車用の機関車である筈のEF66が、速度の遅い2軸貨車で編成された一般貨物列車を引っ張っていることが多々あった。

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もちろん、本来のコンテナ車で編成された高速貨物列車をけん引しているEF66の姿も見られた。

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九州からの上り寝台特急用の583系が次々と目の前を通過して行く。

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北陸方面へは、特急「雷鳥」に混じって、急行用の475系がグリーン車2両を組み込んだ12両編成の堂々たる長さで走っており、湖西線経由の「立山」と米原経由の「ゆのくに」が走っていた。

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この年の10月まで2往復あった、名古屋-大阪間を結ぶ急行「比叡」も1往復に減ったが、まだ153系が最後の活躍を見せていた。

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上り大阪行きの寝台特急「日本海4号」がやって来た。この当時、ヘッドマークが無かったが、今となっては、そんな時期があったことも遠い記憶となってしまった。

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東海道線の高速貨物は、EF66とEF65-500番台(F)が担当していた。この頃は、まだEF65-1000番台(PF)は、貨物列車では殆ど見ることが出来なかった。

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東海道線の貨物列車で、最もよく見かけたのが、EF65の一般型だた。この時は珍しく、単機回送が通過していった。

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北陸方面に向かう特急と言えば、「北越」は見られなくなっていたが、まだ青森行きの「白鳥」が健在だったし、「雷鳥」には583系も使われていた。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。