1985(昭和60)年、当時の天皇誕生日(4月29日)の日は、朝から快晴で、初夏を思わせるような天気だった。
「国鉄の分割民営化」が国会で議論されるようになった当時、国鉄は全国各地で鉄道ファン向けに撮影会などの催しを頻繁に行うようになっていた。
それまでは毎年のように行われていたストライキで電車が止まったり、赤字にも関わらず一向に進まない合理化など、色々と国鉄を悪く言う世論があって、それが分割民営化を支持する声にもつながっていた。そこで、分割民営化に反対する国鉄職員たちが主体となって、鉄道ファン向けにイベントを行い、少しでも(分割民営化に反対する自分たちを)支持してもらおうという動きになったのだろうと推察される。
この日は、米原機関区で撮影会があった。前年の夏休みにも行われていたのだが、好評だったので、再び行われることになったのだった。
それほど大きくない米原機関区の構内には、EF58がずらりと並んでいた。しかし、ここに並んでいたEF58には、既に現役を引退しているため、もはや仕事としての運用は無く、殆どが廃車回送を待つ身であった。
それを考えると、最後のお披露目とばかり、きれいに手入れが行き届いた姿に、国鉄の職員さんたちの熱い思いを感じさせた。
そして、お召列車の専用機であるEF58-61号機も、東京機関区からわざわざ遠征してきていた。
展示してあったEF58には、様々な特急のヘッドマークが取り付けられていて、時間ごとに取り替えも行われていた。

米原機関区に所属するEF58の中で当時、最も人気のあった36号機も健在だった。
「サロンカーなにわ」や「旧型客車お別れ」といったヘッドマークを付けたEF65PFやEF81、除雪車の展示もあった。

これは珍しい「北国」のヘッドマーク。

機関区の隣りにある留置線には引退したばかりの旧型客車がずらりと並んでおり、休憩所として開放されていた。
ここでカラーのリバーサルフィルムが尽きて、モノクルフィルムに詰め替えた。
モノクロで撮影すると、また雰囲気が違って見える。

機関区のはずれにはEF81が並んでいたが、全く人気が無かった。
「おいらん車」の別名もある建築限界測定車オヤ31も展示してあった。
役目を終えて留置してあった旧型客車群は、引退したばかりとあって、まだまだ現役で走れそうな感じだった。
撮影会の終了時間となり、EF58-61が東京に帰るためなのか、入れ替え作業で目の前を通過して行った。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。