1988年4月30日(土) なら・シルクロード博覧会

世の中がバブル景気の真っ只中にあった昭和末期の時代、日本の全国各地で「博覧会」が催された。
 1988(昭和63)年4月23日~10月23日には、奈良県奈良市で「なら・シルクロード博覧会」が行われた。

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国鉄から民営化されたばかりのJRも、各地で開かれた博覧会に合わせて、数多くの臨時列車を運行したり、宣伝目的でヘッドマークの掲出が行われていた。「なら・シルクロード博」も例外ではなく、関西本線を中心に近畿圏を走る電車にヘッドマークが掲出されていた。

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大阪環状線を走る103系には、同じ年の3月20日~8月31日に岡山県倉敷市と香川県坂出市で開催されていた「瀬戸大橋架橋記念博覧会」のヘッドマーク型ステッカーが貼られていた。

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福知山線の113系には、同じ年の4月17日~8月31日に兵庫県三田市で開かれていた「ホロンピア88・21世紀公園都市博覧会」のステッカーが車体横に貼られていた。

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こんな感じで、各地で開かれていた博覧会の宣伝がなされていた訳だが、関西地区では「なら・シルクロード博」のヘッドマークが一際大きいもので目立っていた。

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道路が狭く、駐車場の少ない奈良市内では、クルマによる混雑を少しでも減らすため、郊外に大駐車場を設けて、来場者はそこに駐車してもらい、無料のシャトルバスで博覧会の会場まで往復する仕組みがとられていた。この方式は、その後、博覧会が終わってからも続けられるようになり、同様の取り組みは日本各地に広がっていった。

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奈良公園にある会場には、大きな入場門が設営されていたが、大阪万博や花博と比べると控えめではあった。

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広い奈良公園の中のあちこちに、パビリオンが設けてあった。

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パビリオンの中では、当時の花形職業(死語?)であるコンパニオンのお姉さんが解説というか説明を行っていた。
 ちなみに、この時、初めてハイビジョンのテレビ画面というか映像を見たが、その後、20年も経たぬうちに各家庭に当たり前のように存在するものとなるとは、当時は予想もしなかった。が、スチル写真用のデジタルカメラも、ちょうど同じ頃に初めて使用したので、世の中のテレビやカメラが、その後、大きく変わっていく時代の始まりだったと言えるだろう。

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。