阪急神戸線の電車・1978~1988年頃

先日、阪急神戸線の話題になった時、かつて神戸高速鉄道を介して山陽電鉄の須磨浦公園まで乗り入れていたことを知らない人ばかりになっていることに気付かされた。そう、阪急と山陽の相互乗り入れを知っていること自体、自分が「古い人間」であることを自覚させられた次第である。

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自分が物心ついた頃から、母方の祖父母は兵庫県尼崎市に住んでおり、京都から近いこともあって、春と夏、冬に休みのある度に帰省していた。京都の四条河原町から阪急京都線で大阪・十三まで出て、そこから神戸線に乗り換え、武庫之荘駅で下車するという、およそ1時間の旅だった。

当時、阪急神戸線で、梅田から神戸方面に出ている特急は須磨浦公園行きが多く、たまに高速神戸行きや神戸三ノ宮行きがある程度だった。

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武庫之荘駅には特急は停車しないので、もっぱら神戸線では普通にしか乗らなかった。

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当時は方向幕を装備した6000系がデビューしたばかりで、他の車両はみな金属製の行き先や種別を表示した「方向板」を前面に取り付けていた。

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神戸線には、600系や900系といった古い車両がまだ健在だったが、カメラを手にした頃には、辛うじて900系の姿が見られるだけになっていた。

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当時の神戸線は、もっぱら特急と普通ばかりが走っていたが、西宮球場でプロ野球の試合がある日など、たまに臨時で「急行」が走っている姿も見られた。

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武庫之荘駅の西隣、車庫のある西宮北口駅には、当時は全国でも珍しい(今津線との)直角交差が存在していた。

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祖父母が岡山県倉敷市に新たな家を建てて引っ越してしまい、尼崎の家には代わりに従兄弟が住むようになったが、それまでより足を運ぶ機会が減っていった。阪急神戸線も1980年代半ばになると、7000系といった新車の投入と並行して、従来車の更新が進行して、次第に方向幕を装備した車両ばかりになっていった。

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数少ない方向板を使う車両も残っていたが、いつしかデザインが変わっていた。

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注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。