1984年1月22日(日) 別府鉄道・その2

荷物を運ぶのが貨物列車だが、昭和末期に於ける国鉄の貨物列車には、貨物取扱駅同士を直接結ぶ直行型の輸送方法と、全国各地にある貨物取扱駅で荷物を載せた貨車を操車場(ヤード)で目的地別に集散させる輸送方法があったのだが、後者は非効率的で時間も掛かり、高速道路網の整備進展によるトラック輸送の発達もあって、年々利用者が減少していた。

赤字増加で分割民営化が国会で議論される中、1984(昭和59)年の2月1日に、当時の国鉄がダイヤ改正を行ったが、そこで貨物輸送の形態を大きく変えることになった。
 その中身とは、操車場の全面廃止と、貨物取扱駅の大幅削減で、これによって全国的に鉄道による貨物輸送が大幅に変わることとなった。

その影響は大きく、国鉄を通じて貨物輸送を行っていた地方にある中小の私鉄では、その命脈を絶たれる所も出て来た。兵庫県の別府(べふ)鉄道もその一つだった。
 別府鉄道は、旅客輸送も行っていたが、収入では貨物輸送の割合の方が圧倒的に大きかった。山陽線の土山駅で貨物のやり取りをしていたのだが、その土山駅での貨物取り扱いが、このダイヤ改正で廃止されることが決まってしまい、別府鉄道は鉄道そのものが廃止されることになってしまった。

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加古川駅から高砂線のディーゼルカーに乗る。なぜかデビューしたばかりのキハ37が使われていたが、この高砂線も赤字が大きいことで有名だった路線であり、別府鉄道に遅れること10ヶ月、同じ1984年の12月1日に廃止となってしまった。

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野口駅で別府鉄道に乗り換えるが、廃止間際ということもあり、1両編成の古い旧国鉄のディーゼルカーは満員だった。終点の別府港には、広い構内に黒い貨車が沢山留置されていた。

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その構内の片隅には、ここから土山駅へ向かう混合列車が止まっていた。この日はちゃんとホームのある場所の停まっていたが、ホームの無い場所に停まっていることも多々あったという。

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DB201という、小さな青いディーゼル機関車が機回しされてきて、その混合列車に連結された。

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機関車の次位にあるデッキ付きの客車ハフ7は、ダブルルーフの2軸というレトロな1926(大正15)年製造のかなり古い車両だった。その隣のハフ5も、1930(昭和5)年製造で、元々はディーゼルカーだったものを客車化したものだった。そして、この2両が別府鉄道にある客車の全てで、別府鉄道の廃止後、どちらの客車も保存されている。

ちなみに、別府鉄道で使われていた車両は、DB201を除き、みな保存されており(注*その後、保存状況の悪化で解体されたものもある)、小さな地方私鉄としては、かなり珍しいことだと思う。

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。