1978年5月15日(月) 葵祭と京都市電

今では世界遺産として有名な下鴨神社も、子供の頃の自分にとっては家の近所にある「遊び場」の一つに過ぎなかった。
 しかし、毎年5月15日に行われる葵祭の日だけは、地元のお祭りということもあって様相は一変した。通っていた小学校は授業があっても午前中に終わり、午後には葵祭行列の巡行を見に行くことが出来た。境内にある参道はもちろん、近くの大通り沿いにも露店が出て、それは賑やかだった。

1978(昭和53)年の5月15日は月曜日だった。授業が午前中で終わり、帰宅後、カメラと小遣いを手にして、近くの交差点へ向かった。

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まだ行列が来るまで30分以上あったが、次第に見物客が集まってきていた。

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歩道の端っこに座っていると、目の前を次々と市電が通過して行った。

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ちょうど、この頃、市電路線の廃止と並行して、市バスに新型車の投入が続いていたが、中でも方向幕の大きなタイプが次第に数を増やしていた。

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反対側の方が見やすいのでは、という同級生の言葉に、移動する。そのついでに、電停で通り掛かった市電を撮影する。当時、使っていたのは母親から譲り受けたレンジファインダータイプのカメラだったが、ファインダーとレンズが別々なため、ファインダーではクリアに見えていても、実際にはレンズの前に障害物があって、ちゃんと写せてないことが時々あった。このときも、レンズの前でカメラケースが邪魔していたようだ。

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葵祭の行列がやって来た。今では考えられないことだが、葵祭の行列が通過している間、歩道の上ではなく、道路の中ほどまで出て観覧することが、当時は可能だったことが写真からも窺える。

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道路の真ん中に軌道敷があるため、葵祭の行列そのものも道路中央ではなく、少し寄って歩いていた気がする。

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このとき、葵祭と市電との組み合わせは、これが最後というのを小学生だった自分も分かっていて、なんとか市電との絡みを撮影しようとしていた。が、写真撮影をするようになって、まだ数ヶ月しか経っていなかった自分の技量では、どう撮って良いか分からず、いかにも稚拙な撮り方ではあった。

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行列を見終わると、下鴨神社へ移動して、参道沿いにずらりと並ぶ露店で楽しむのが、いつものことだった。そこにある怪しげな「くじ引き」の店で、おっちゃんに上手く誘われては、当たるはずのない(?)豪華賞品を目当てに無駄遣いをするのも、いつものことだった。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。